北九州市の真ん中に洞海湾(どうかいわん)と呼ばれる、深く入りくんだ湾があります。むかしは洞ノ海(くきのうみ)と呼ばれていました。「洞」という文字が「ほら、どう、うろ、ドン、うつろ」などと呼ばれ、”狭い場所”という意味を持つ言葉です。
洞ノ海(くきのうみ)と呼ばれていた当時、真ん中に大きな岩の群れがありました。潮が満ちると、この地域は暗礁(あんしょう)となり、大きな渦を起こしていました。多くの船がこの暗礁が原因で遭難したそうです。
遭難した船員の供養のために、その暗礁のひとつの岩の上に地蔵菩薩が祀られました。その地蔵様は、潮が満ちても波の上に出て姿をみせるので、遭難船がなくなったと伝えられます。その後、八幡製鉄所が洞海湾を埋め立てた際に、製鉄寺へ地蔵菩薩は移されました。
この言い伝えに出てくる地蔵菩薩は「洞海地蔵(くきのうみじぞう)」と呼ばれているそうです(北九州市史 民俗編 P579)。
この洞海地蔵へ会いに、製鉄寺へ行ってみることにしました。
場所:福岡県北九州市八幡東区高見
座標値:33.869653,130.837460
Google マップの検索窓では「八幡東区 製鉄寺」と検索してもヒットしません。しかし通常のGoogle検索で「製鉄寺」と検索すると、何件もヒットします。そのなかには詳しい住所を記載してくれるサイトもあります。
八幡東区高見3丁目2-1
この場所の北側には広大な墓地があり、墓地周辺に車を停める場所はじゅうぶんにあるのですが、路駐となるので、ここに車を停めるのはやめました。
わたしは、製鉄寺から北東へ約500mの場所にある「中央緑地公園」の駐車場に車を停めました。中央緑地公園から製鉄寺へ徒歩で移動することにしました。
製鉄寺の具体的な住所までわかっているので、すぐに製鉄寺をみつけることができました。製鉄寺の本堂に向かって右側に、お堂があり、そのお堂のなかに「洞海地蔵尊」が祀られていました。
出会ってはじめは、これがほんとうに洞海地蔵尊なのか判断することはできませんでした。お地蔵様の後ろに掲げられている木の看板に、かろうじて洞海地蔵尊の文字が確認できたので、まちがいなくこれが洞海地蔵尊であるという確証がもてました。