大分県の青面金剛・庚申塔というサイトを拝見し、今回は大分市の小野鶴八幡宮という神社に祀られる庚申塔群を探しに行ってみました。
座標値:33.202431,131.565066
↑こちらが小野鶴八幡宮の拝殿です。拝殿に向かって右側奥へ続く小道があります。その小道を2分ほど歩くと、左側に5基の石塔が並んでいる↓のを見つけることができました。5基すべて青面金剛の庚申塔でした。
左側から順番に、5基の庚申塔をご紹介してゆきます。↓一番左側は青面金剛という文字が刻まれた文字塔でした。建立年月は寛政六年(甲寅;きのえとら)十一月の文字が確認できます。寛政六年は1794年。
↓左から二番目の庚申塔は青面金剛の像を刻んだものです。首の部分から割られており、後に修復されたと考えられます。
一面六臂で、それぞれの手には三叉戟、宝玉、弓、矢、剣、そしてショケラと思われるものを把持しています。
足元には一鶏一猿が刻まれます。↓台座には文化二(1805年)四月吉日の文字が確認されます。
↓左から3番目の庚申塔は「青面金剛王」という文字が刻まれている文字塔です。そして文化五(1808年)戊辰(つちのえたつ)天という文字が確認できます。
建立の日時まで刻まれており「閏六月廾一日」と刻まれているように見えます。閏六月というのは何なのでしょう?ウィキペディアの閏月に、解説が掲載されていますが、これをじっくりと読んで理解するのには時間がかかりそうです。
おそらく「閏六月」は西暦でいえば7月と考えられます。7月と考えるならば、この庚申塔は、1808年の7月21日に建立されたと思われます。
↓左から4番目の庚申塔には青面金剛の像が刻まれています。一面六臂です。それぞれの手には、三叉戟、宝輪、弓、矢、剣、そしてこの青面金剛もショケラを把持しています。
青面金剛は邪鬼を踏み、足元には一鶏一猿も見られます。
台座には「天保三壬辰 四月」の文字が刻まれ、1832年4月の建立ということがわかります。
そして左から5番目…つまり一番右側の庚申塔は↓大きく右側へ傾いており、隣の石に寄り掛かるように祀られています。「〇青面金剛王」の文字が刻まれています。
建立年ははっきりと確認することができませんが、「〇青面金剛王」の文字に向かって右側に「慶応」の文字が見えるように思えます。
もし慶応という文字が刻まれていれば、この庚申塔は1865年から1868年の間に建立されたと考えられます。
今回訪れた小野鶴八幡宮の境内には、これら5基の庚申塔以外にも珍しい石塔が祀られていました。どういう目的でこれらの石塔は祀られたのか…興味を湧き起こさせてくれる神社でした。