座標値:33.263607,131.3699646
湯布院の町のなかにある佛山寺(ぶっさんじ)。そのお寺の境内に祀られていた庚申塔です。こちらの「大分県の青面金剛・庚申塔」というサイトを拝見して、この庚申塔の存在を知りました。
なんとなく、”山奥の人気のないお寺に祀られている庚申塔”をイメージしていましたが、実際に訪れてみると、観光街のすぐ近くに佛山寺はありました。たくさんの観光客が訪れる場所ですが、佛山寺には車4~5台は停められる広い駐車場があったので、こちらに駐車させていただき、境内へと行きました。
↓こちらの立派な山門をくぐって、すぐ右側に大きなイチョウの樹が二本あります。
この大きな二本のイチョウの樹の根元に庚申塔は祀られていました。
↓一面四臂の青面金剛が主尊です。
↓髪の毛の一本一本など細かい部分が残されており、保存状態が比較的良いように感じます。手には宝玉、矛が握られているのが確認できます。しかし、体の前で合掌しているように見える両手の形は、よく判別できません。印を結んでいるようにも見えます。
↓青面金剛に向かって右側に一鶏が刻まれます。そして三猿は青面金剛の両側に刻まれています。青面金剛に向かって左側の上段の猿は、目が確認でき、さらに両手が頭の両側に配置されているので、おそらく聞かザル。
↑青面金剛に向かって左側下段の猿は、両手が風化により消えかかっていますが、かすかに顔を覆うように両手が配置されているので、見ザルと考えられます。
↑よって青面金剛に向かって右側、鶏の下に刻まれているのは言わザルと考えられます。言わザルは横向きに刻まれています。
この庚申塔でもっとも特徴的であったのが、青面金剛の足の下に刻まれるこちら↑の邪鬼です。髪の毛や、シワの一本一本までしっかりと刻まれています。髪の毛は長く、一見すると獅子のような様相です。
この庚申塔には建立年月は確認できませんでした。
庚申信仰 (民衆宗教史叢書 第17巻)P213では…
宮崎県の高原町の塔は、青面金剛が庚申の独立の正本尊的な一を確立した時期を明示する塔として、きわめて貴重なものである。その時期は天正十九年(1591)である。文書でも青面金剛は天正には独立の正本尊となっている。
…とあります。”1590年代以降に造られた庚申塔”というおおざっぱな予想しか立てられませんでした。