日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

福泉寺の墓地に祀られる庚申塔群 大分県佐伯市蒲江大字畑野浦

大分県の畑野浦という集落に、六基の庚申塔が集められ祀られていました。庚申塔群にむかって右側から順番にご紹介していきます。集落に入り込んだ、わかりにくい場所にあるので、記事の最後に地図を掲載します。

 

 

場所:大分県佐伯市蒲江大字畑野浦

座標値:32.857923,131.946752
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一番右側の庚申塔です。文字塔のようですが、刻まれている文字は、わたしには判読できません。
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右から二番目の笠付きの庚申塔です。こちらも文字は判読できません。かろうじて「塔」という文字のみが読み取れます。
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右から三番目の笠付きの庚申塔です。こちらの文字塔は、比較的はっきりと文字を判別できます。
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↓凹凸を強調した加工をして文字を読んでみます。建立年は「元禄四辛未年 九月初五日」、中央の文字は「奉造立庚申塔」と確認できます。これらの文字の下には願主の名前と、「現世安穏」「後生善処?」という文字が確認できます。調べてみると、「現世安穏後生善処(げんせあんのんごしょうぜんしょ)」」という言葉が法華経のなかに記述されており、”法華経を信じる人は、現世では安穏に生活でき、後生ではよい世界に生まれる”という意味があるということです参照
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右から四番目の、笠付きの文字塔です。丸で囲まれた「月」「日」という文字が、塔の上側に刻まれています。その下に「庚申塔」という文字が見えます。
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庚申塔の文字の下にもなにか文字が見えますが、判読できません。「庚申塔」の文字の両側に「元禄十□□年」「十二月十四日」と刻まれているようにみえます。元禄十数年ということは、西暦1700年のはじめ頃の建立ということになります。


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そして、これら文字の下には蓮の花が刻まれています。


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右から五番目の笠付きの庚申塔です。こちらも文字塔で、中央部に「庚申塔」の文字がみえます。
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「庚申塔」の文字の上に二文字見慣れない文字がみえます。読めません。そして「庚申塔」の文字の両側に「元禄十六未年」「十月?十一月?十八日」という文字がみえます。元禄十六年は西暦1703年、干支は癸未(みずのとひつじ)です。
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一番最後に、右から六番目の庚申塔、つまり一番左側の庚申塔をご紹介します。こちらだけが刻像塔で、一面六臂の青面金剛像が刻まれています。青面金剛の足元には見ざる聞かざる言わざるの三猿、さらにその下には二鶏が刻まれているようです。
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青面金剛像の両側に「宝永二」「八□□九□」という文字がかろうじてみえます。宝永二年は西暦1705年、干支は乙酉(きのととり)です。
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これら庚申塔群のそばには、「京塚(きょうづか)の庚申塔群」と題して案内板が建てられています。そのなかには、”この庚申塔群は、花崗岩が主で瀬戸内方面から海上輸送されたものである”、”これらの庚申塔は、この時代漁民の生活もある程度潤い阪神、瀬戸内方面との交易が盛んであった証でもある”と紹介されています。

 

庚申塔群周辺の地形図をみてみても「京塚」という地名などはみあたりませんが、なぜ「京塚の庚申塔群」と紹介されているのかは不明です。熊本県熊本市東区には「京塚」という地区があるようですが…

 

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庚申塔群は、細い路地が入りくんだ集落の中に祀られています。交差点の「入津トンネル先」から、徒歩でのみ移動できる路地を、南東へ120mほど歩くことでたどりつくことができます。航空写真で、その経路をしめしています↓

交差点のちかくには、庚申塔群がまつられる墓地へ続く細い路地がのびています。メインの道路から分岐する細い路地となっています。下の写真のような風景です。