前回の記事で”不動下”という字名の場所に不動明王が祀られている場所をご紹介しました。
ここの不動明王さまは、もともと参拝に不便な小高い山の上に祀られていたのを、炭坑で働く人たちが参りやすいよう、山の下に移動したという話を前回の記事に書きました。
ではもともとあった場所の不動明王さまは?
今回はそのもともとあった場所の不動明王さまをご紹介します。場所は”不動下”と同じく、福岡県遠賀郡水巻町です。
水巻町の略図を下に示します。
地図の中央付近に、不動下という字があります。ここが前回の記事で紹介した場所。そして不動下から東へいった場所に、もうひとつ不動明王さまが祀られる「長谷不動尊」があります。
長谷不動尊の場所:福岡県遠賀郡水巻町中央18-1
現在地から長谷不動尊:Google マップ
ここに不動明王さまが祀られるいわれが「水巻昔ばなし」(柴田貞志 著)に書かれてます。要約すると以下のようになります。
室町時代。足谷次郎という野武士が、ここ長谷に住みついた。足谷はたいへんな信仰家で、のら仕事のかたわら熱心に大日如来を信仰していた。
これをみて、仏さまのご加護を願っていた村人たちは、足谷の熱心な信仰に動かされて、彼にしたがうようになった。大日如来の慈悲にすがって生きてきた甲斐があって、周囲の村で飢饉による餓死者がでた年でも、長谷ではみんなで食料をわけあって生き延びることができた。
足谷次郎は、その後、飢餓魔を退散させるために不動山に不動明王堂を建立した。
これが今残っている不動山の不動明王像のある場所です。
現在では、こんな感じの広場になっています。
広場には数体のお地蔵さまと、一番奥に不動明王さまが祀られます。
この不動明王さまが祀られたのは、400年も前にさかのぼるんですね。ちなみにこの場所には炭坑殉教者の碑も建てられています。
というのは、不動尊のまわりでたくさんの白骨が発見されたそうで、近くの梅ノ木の炭坑で亡くなった無縁仏を、この場所で葬っていたということです。
炭坑がさかえていた時代、この場所は町からちょっと離れた場所にあるので、集団墓地としての役割を担っていたんでしょうか。
地形図で、この不動明王さまが祀られている場所を確認すると、標高は30m程度の小高い丘という感じです。ここからは目の前にある水巻中学校や、水巻の町を見おろすことができます。