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福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

占いをしていた老女の供養のために祀られた?馬頭観音像 北九州市観音寺町

場所:福岡県北九州市戸畑区観音寺町3

座標値:33.883567,130.831536

 

『北九州市史(民俗編)』P589に、戸畑区観音寺町の「畑の観音堂」に馬頭観音が祀られていることが紹介されており、行ってみることにしました。そもそもどうして馬頭観音が祀られるようになったのか?そのエピソードも掲載されていましたので、以下にご紹介します。

大正の終わりごろから昭和十五、六年ごろまで、占いをする老女が住み込んで、村人のなかに信仰する者が多かった。八月十七日夜には盆踊り供養をする(北九州市史 民俗編 P.589) 

 

観音寺町は古い街並みが残る住宅街で、その住宅街のなかに観音寺公園という小さな公園がぽつんとあります。観音寺公園のすぐ南側には国道3号線という車通りの多い国道がはしっているため、国道から分岐して観音寺公園の前をとおる天籟寺(てんらいじ)通りも、ひっきりなしに車が走っています。

 

こちらが観音寺公園。観音寺公園内に馬頭観音が祀られる「畑の観音堂」が建てられています。この公園で毎年、盆踊りが開催されているのでしょうか。

公園の北側に、ゆるやかにあがる坂があり、坂をのぼりきった先に観音堂があります。

 

観音堂にむかって左側に6体の石仏が祀られていました。そのなかの1体に馬頭観音がありました。しかし比較的あたらしく造られた観音像らしく、北九州市史に紹介されていたものとは違うようです。やはり、この観音堂内に祀られているのが、目的の馬頭観音と思われます。

観音堂内の本尊は金色の衣にくるまれています。

占いをしていた老女と馬頭観音が、どうしてつながるのか?はっきりとしない部分がありますが、本尊 馬頭観世音菩薩と、看板がかかげられています。これが紹介されていた馬頭観音像と考えて、まちがいなさそうです。

 

↓観音堂の左側に祀られている6体の石仏群に目を移します。

6体のうち、一番右側に馬頭観音像が祀られていました。

菩薩の3つの頭のうち、中央の頭のうえに馬の頭が乗っています。馬頭観音の特徴をあらわしています。観音堂内の看板には「観世音菩薩」とかかれていましたが、観音さまとどう違うのでしょう。イラストと図解でわかる 日本の仏像のP74-76を読んでみると、観音さまの正式名は「観音菩薩」。別称が「聖観音(しょうかんのん)」「観世音(かんぜおん)」「観自在(かんじざい)」「光世音(こうせおん)」というそうです。 

「観音菩薩」は世界の四方に目をむけ、自由自在に人々を救済する存在なんだそう。そして人々を救うとき、願いにあわせてさまざまな姿に変わり現れるという。その数は33にものぼり、馬頭観音は33の姿のうちのひとつです。

 

髪がさかだち、忿怒の表情からすると不動明王のようですが、不動明王とは別の種類の仏さまなんですね。

 

馬頭観音という名前のとおり、馬をはじめとする家畜を供養するためだったり、旅の安全(交通安全)を願うために建立されるそうですが、ここ戸畑区観音寺町でも、馬頭観音を祀る目的があったのでしょうか

 

なんとなく思いつくのが、北九州地域をとおっていた、長崎街道、唐津街道です。そのルートが観音寺町ふきんをとおっていたのでしょうか?確認してみましたが、残念ながら長崎街道も唐津街道も、このふきんを通っていませんでした。

 

観音堂内の馬頭観音が祀られたのが(おそらく)昭和初期。↓外に祀られている馬頭観音が祀られたのが昭和50年。戸畑区のとなりの八幡東区では昭和初期まで、馬が荷物をひく光景がみられたといいます。戸畑区でも、仕事や移動手段で馬が用いられていたと考えられます。仕事を終え亡くなった馬たちを供養するために建てられたのが、畑の観音堂なのでしょうか。それとも、北九州市史の伝承どおり老女の供養のために建てられた観音堂と馬頭観音なのでしょうか。