豊後高田市には昔、鉄道が走っていたという話を年配のかたに聞いて、その痕跡がないか地図を眺めていました。なかなか鉄道の痕跡は見つからないのですが、ちょっとおもしろいものを見つけることができました。
↑上の地図で玉津地区周囲に、不自然にカクカクと流れる水路のようなものが見えます。地図中央に位置する桂陽小学校北東部と、樹のマークのように示されている裁判所の北側にあります。豊後高田市には、むかし城があったとの話も聞いていたので、堀の跡かもと思い調べてみると、たしかに堀跡のようです。実際の写真がこれ↓
↓この場所では水も溜まっていて、しっかりと堀が残っています。
↓部分的には水が少なくなって、沼のようになっている場所も。
高田城 本丸は実際には、「市立 桂陽小学校」のある場所に建てられていたそうです。↓この場所です。
↓そして実際の高田城周囲はこんな感じの地形となっていたそうです。(ウィキペディア 「高田城 (豊後国)」より)
高田城は鎌倉時代(1196年)に高田掃部介 重定氏が丘陵に築いた城です。高い山の上でなく、比較的なだらかな丘陵地に立てられた城を平山城(ひらやまじろ)と呼ぶそうですが、高田城も平山城に分類されます。
堀跡の周囲を散策してみると↑うえの写真のような小道が網を縫うように広がっています。↓地図でみるとこの場所で東を向いて撮影。古い地図を参照すると、この小道の先に「追手口」…つまり城の正門があったと考えられます。
では実際に本丸があったとされる場所周囲を散策してみます。
↓こちらは高田城の城壁で1196年に築かれたもの。
古地図でいえば、おそらくこの辺り↓でしょう。
そしてここが本丸周囲の堀跡。今でもしっかりと水が溜まっています。
↓この辺りから堀を眺めていると思われます。
↓堀跡の北側から堀ごしに桂陽小学校を眺めます。
↓北東から堀を眺める。
↓本丸への入り口付近から高田の街を眺める。
この場所からの眺めは、どことなく城下町の雰囲気がただよいます。
一見すると変哲のない小さな町のようですが、どんな町にも歴史があって、運がよければその痕跡を見つけることができるものだと認識できました。
この豊後高田市には、その昔「宇佐参宮鉄道」とよばれる鉄道が通っていたらしいので、その痕跡が見つけられればいいなと思っています。