場所:福岡県宮若市四郎丸
座標値:33.741234,130.650793
福岡県道87号線(岡垣宮田線)を車ではしっていると、森のなかにはいっていく階段らしきものと、その前に庚申塔らしき石塔群がまつられていたため、気になり立ち寄ってみました。
庚申塔らしき石塔群を参拝すると、その表面の文字は風化して見えなくなっていました。表面のざらつき加減からみると、おそらく砂岩でつくられた石塔だと考えられます。形から推測すると庚申塔だとおもいますが…
四基の石塔群は、すべて以下の写真のように風化がすすんでいました。
かろうじて一基だけ「享保三年」か…と思われる文字が確認できました。享保三年は1718年、干支は戊戌(つちのえいぬ)です。
石塔群よこの階段をのぼっていくと、しげみのなかに地蔵堂が建てられています。お堂の柱には地蔵菩薩と虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の札がさげられています。さらにお堂の裏側には岩が露出しており、ここにいくつかの梵字が刻まれています。
下の写真、いちばん右側には地蔵菩薩の梵字が、いちばん左側には虚空蔵菩薩の梵字が刻まれていると考えられます。
これらの岩は堆積岩で、加工しやすい砂岩・泥岩で構成されていると考えられます。地蔵堂前に祀られている石塔群と同じ材質の石です。確認のため地質図naviで確認してみます。
地蔵菩薩堂周辺は砂岩・泥岩(黄色網掛け)で構成されていることがわかります。砂岩泥岩で構成されている地区が、倉久川(お堂の前をながれている)により削れられて、谷となっているようです。