壱岐の島、東端にゴツゴツとした玄武岩が露わとなった岬があります。左京鼻(さきょうばな)と呼ばれます。断崖絶壁ですが、手すりなどとりつけられておらず、自然そのままの状態が保たれています。
場所:長崎県壱岐市芦辺町諸吉本村触
座標値:33.788227,129.798656
玄界灘をみわたせる、きもちのいい広場↓
広場を抜けて海岸へと近づくと、黒っぽい岩石で構成された岩場がひろがります。広場から海までの落差は約20mです。足がすくみます。下の写真、右側の岩場を眺めてみると、亀の甲羅のように、なんとなく規則正しいひび割れが生じているように見えます。これら岩石は玄武岩と思われます。玄武岩はマグマが地表近くで急激に冷えて固まった火山岩に分類されます。火山岩のなかでも有色鉱物がおおく含まれているので、写真のように黒っぽい色を呈しています。
地質図naviを参照すると、壱岐の島のほぼ中央部を北西から南東にかけて断層がはしっています。湯本-筒城(つつき)構造線と呼ばれます。壱岐の島は、この断層から北側が隆起しているそうです。
参照:壱岐の地質(2)神田淳男
地質図naviを見ると、壱岐の島の大部分は玄武岩で覆われています。さらに詳しくみてみると、湯本-筒城構造線から北側は、玄武岩のなかでも比較的古いもので構成されています。具体的には「新第三紀」と呼ばれる、2300万年前くらい前までの時代につくられた玄武岩です。
参照:ポジタリアン イエロー.好奇心の赴くままにまったり綴った雑学ブログ
いっぽう、湯本-筒城構造線から南側は、「第四紀」と呼ばれる259万年前までの時代につくられた玄武岩で構成されている傾向が強いようです。
今回の記事でご紹介している左京鼻の位置を確認してみます↓ 湯本-筒城構造線よりも北側に位置しており、壱岐のなかでも比較的古い玄武岩で構成されています。
壱岐の島は、もともと堆積岩があって、その上に火山から噴出した岩や、流れ出してきた溶岩が積み重なって構成されています。島の北側で、まずは溶岩の流出がおきました。そのあとに島の南側にある、現在「〇〇辻」と呼ばれる火山跡から、溶岩が流出し、島全体を覆ったと考えられます。
溶岩によって島全体が覆われ、その後、風雨による浸食が加わりました。結果、島全体が平原化されたと考えられています。展望台などの高い場所から島をながめてみると、比較的平らな土地が広がっていることがわかります。とても気持ちのよい景色です。
参照:5萬分の1地質図幅説明書 勝本・郷ノ浦・芦辺,P.16,17
左京鼻の写真にもどります↓ ここの玄武岩をよくみてみると、やや規則的に岩の割れ目がはしっている傾向があります。溶岩が冷えて縮むときにできた割れ目で、「節理(せつり)」と呼ばれるものだと考えられます。
よく、柱状節理(ちゅうじょうせつり)という言葉は聞きます。宮崎県や大分県で柱状節理をみることはできますが、それほどはっきりとした柱にはなっていないように感じます。しらべてみると節理にも種類があるようです。
節理には主に柱状節理・板状節理・方状節理があります。
左京鼻の玄武岩を観察すると、岩が直方体にちかい割れかたをしているため「方状節理」となっていると予想されます。
海に面する箇所を観察すると、切り立った崖となっている傾向があります。そして崖のしたには、崩れおちたと思われる大きな岩がゴロゴロところがっています。とても迫力があります。玄武岩が固い岩なので、なめらかに浸食されていく…という感じではなく、年月が経つとボロボロと崩れてゆく…という感じで浸食されるのでしょうか。泥や砂でできた堆積岩でつくられた地形とは全く様相がちがいます。
左京鼻の先端部には、左京鼻龍神が祀られています。
岩場にイソヒヨドリがときどき飛んでいました↓ 身体のおおくの部分は瑠璃色、おなか部分は赤茶色。