日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

壱岐の島の猿田彦大神 長崎県壱岐市石田町筒城東触

2023年6月26日時点で、「壱岐の島 猿田彦大神」というキーワードで、Google mapを検索すると3ヵ所ヒットしました。これらの猿田彦大神がまつられると思われる場所へ、2ヵ所足をはこんだのですが、石塔をみることができたのは1カ所のみでした。2ヵ所のうち1ヵ所は雑草に覆われ、猿田彦大神がまつられている場所へ立ち入ることができませんでした。

 

これら3ヵ所を、東側から順番にご紹介すると以下のようになります。

 

場所:長崎県壱岐市石田町筒城東触

座標値:33.755486,129.779136

 

場所:長崎県壱岐市郷ノ浦町志原南触

座標値:33.746297,129.714112

 

場所:長崎県壱岐市郷ノ浦町有安触

座標値:33.784869,129.667283

 

だいたいの位置を地図上にあらわすと以下のようになります↓ 今回、足をはこぶことができたのは①と③です。そして③は草がぼうぼうで立ち入りが困難でした。

今回の記事でご紹介するのは①石田町筒城東触の猿田彦大神です。三叉路の一角に石塔と、数基の猿の石像がまつられています。

石塔の正面に「猿田彦大神」の文字がみえます。側方・背面は未確認のため、建立年月は不明です。

 

石塔の周囲に見ざる言わざる聞かざるの三猿がまつられています。福岡県では、なかなか見られない光景です。壱岐の島の北側、男嶽神社にも多くの猿像が奉納されています。

 

 

書籍『庚申信仰(小花波平六著)』P.216には、壱岐の島における庚申塔のことが紹介されています。これによると、1697年(元禄10年)に壱岐へ神道庚申説が伝わったとされています。そのときから猿田彦大神を祭神としてまつる庚申待がおこなれるようになりました。

 

書籍のなかでは、冒頭に地図でしめした②の猿田彦大神のことが紹介されています。その文章を以下に抜粋してみます。

 

伊岐島にもやはり元禄年間に立てられた庚申石祠が遺存している。所在地は伊岐の志原村南触小岳である。ここには向かって右に天照大神、左に猿田彦大神をまつる二基の石祠がある。石祠の石の扉はとても重くて三人の男の力がないと開閉できない。なかには右に天照皇大神の手鏡形の石、左に猿田彦大神の板碑型の石がまつられている。扉の石を閉じると、右側の石祠の扉に「天照大神、元禄十年丑十二月十一日、願主、野本又右門次兵衛、講中廿五人」とある。また左側の石の扉には、「猿田彦大神、元禄十丑年十二月庚申日、本願次兵衛、講中八人」と刻まれている。

 

6月の下旬に壱岐へいったとき、この文章を読み込んでいなかったために、①③の猿田彦大神を先に参拝しようとしました。ほんとうなら、壱岐の元祖となる猿田彦大神である②を参拝すればよかったと思いました。

 

ただ、国土地理院地図の航空写真で②の場所を確認すると、民家の敷地内にあるような感じを受け、行くのをためらってしまっていました。また壱岐へ行く機会があれば、南触に祀られる猿田彦大神も参拝にいきたいと思います。