「福岡県道718号吉井妹川線」沿いに牛鳴峠があります。ここには牛鳴峠碑が建っていたといいますが、私がここを2022年11月20日に訪れたとき、碑を確認することはできませんでした。代わりに、近年建てられたと思われる碑を確認することができました。
場所:福岡県うきは市吉井町福益
座標値:33.314057,130.753742
碑があるという情報を知ったのは、浮羽古文化財保存會誌である『宇枳波 第一號 復刻版』P.4を拝読してです。Googleのストリートビューをみてみると、古い感じの上写真と同型の碑が建てられているのわかります(2022年11月時点)。この古い碑もまた、石碑という感じではないので、後世に建てられたものだと考えられます。もう古い石碑は取り除かれたのかもしれません。
もしかしたら、山中に石碑が残っているのかもと思い、山中にもいってみましたが、それらしき石碑は確認できませんでした。↓座標値(33.313598,130.753183)付近の山中写真。
『宇枳波 第一號 復刻版』P.4には、牛鳴峠の碑に以下のような文が刻まれていたと紹介されています。
筑後州箕山牛泣清水碑
筑後州星野之民會請熊野三社神、一牛負神輿
踰箕山之東嶺、山路羊膓不堪重負、抵此號泣
涙隨下矣、供奉人愍而不止、得水於石隙而飼
牛、牛則進其水清冷、今尚涓々而流、山老野
父往來供渇、山中亦有擊牛石云、妹川故保里
國武定治、有志願而數所建願王石像、今又此
所寫一尊、而利益往來、就余求之記余乃記所
聞、草庵沙門蘭陵書
私なりに意訳すると以下のようになります。
筑後の国 箕山(みのやま) 牛泣清水の碑。
筑後国の星野の人々が熊野権現をお迎えすることになりました。一匹の牛の背中に神輿をかつがせ、箕山(みのやま)の東側の峰を通ることとなりました。山道はまがりくねり、牛は神輿の重さに耐えることができません。ついにこの峠あたりで、牛は叫び、涙を流しながら動かなくなりました。牛飼いは牛を止めたくなかったので、岩の間から流れ出ている清水を牛に飲ませました。すると牛はふたたび動きはじめました。今も清水の流れは耐えることはありません。
これ以下の箇所は、文が難しくて訳することができませんでした。”あまりにも峠が急なために牛が音を上げた。そして清水を飲ませるとふたたび動きだした”という部分は理解できました。
こちらの写真が実際の峠の様子を写したものです。
下の図は牛鳴峠ふきんの地形図を、標高別で色分けしたものです。牛鳴峠の箇所は314mほどです。牛鳴峠あたりは山の尾根部分がいちばん狭まっていることがわかります。比較的、標高の低い箇所を縫うようにして道がとおっていることがわかります。
下の図は、ふもとから牛鳴峠までの高低差をグラフで表したものです。グラフの左側は峠の北側の登山口にあたる標高です。グラフの右側へいくほど南へと進んでいくことをあらわします。北側の”福益(ふくます)”の集落から、峠からいちばん近い集落である”尼ヶ瀬”へと行程を測定しています。
この行程を以下の条件で牛が神輿をかついで牛鳴峠をこえた場合、ざっくりと、どれくらいきついのかを「登山コース定数,体力度 - 高精度計算サイト」で計算してみました。
【要する時間】12時間
【歩行距離】3㎞
【累積登り】300m
【累積降り】100m
【牛の体重】1100㎏
【神輿重量】80㎏
するとコース定数というのが25.6となりました。下の基準は「「歩行時間」「総距離」「累積標高差」から算出される指標『コース定数』で、登山コースの体力的難度を把握しよう YAMAYA - ヤマケイオンライン / 山と渓谷社」を参照させていただいています。
この基準を参考にすると、牛が通った道は”一般的な登山者向き”から”健脚者向き”の範囲に入るコースだと考えられます。日帰りが可能なコースともいえます。でも実際は、昔は整った登山道があるわけではないと想像され、おそらく100㎏近い神輿をかついでの峠越えは過酷なものだったと考えられます。