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福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

石造りの水道橋「若宮井路(わかみやいろ) 笹無田石拱橋(ささむたせっこうきょう)」を訪ねる 大分県竹田市 狭田

冊子『竹田は石と水の織りなす文化』(岡の里事業実行委員会)P.22~27に、大分県竹田市に残る主な石橋が紹介されています。

 

竹田市は、その周りを久住(くじゅう)連山、阿蘇外輪山、祖母山などに囲まれています。過去、4回おきた阿蘇山の大噴火により、火山灰などが堆積してできた“灰石”が大量のふり積り、その重さと高熱により再度解けた跡、硬く溶結しました。こうしてできた溶結凝灰岩が竹田市域の大地をおおっています参照。竹田地域には久住、阿蘇、祖母山から集められた伏流水もながれてきます参照

 

これら二つの条件が重なるために「竹田は石と水の文化」という言葉が、今回拝読した冊子にもつけられていると考えられます。

 

今回ご紹介するのは、竹田市の狭田(はさだ)という地区にある水路橋です。水路橋は、水を通すための橋で、狭田に架かっている水道橋は石造りです。

場所:大分県竹田市 狭田(はさだ)

座標値:32.985584,131.409916

 

石橋のむこうに見える赤い橋はJR豊肥本線です。豊肥本線の西側15m程度の距離に、笹無田石拱橋が架かっています。二連アーチの橋ですが、二つのアーチを同時に撮ることができなかったため、分割して撮りました。

↑水道橋というからには、橋の上に水が流れています。上の写真だと右側から左側方向へと水が流れています。

これら巨大な石ブロックを、ひとつひとつ積み上げていった労力を想像しながら眺めます。現在の、この形は大正6年(1917年)につくられたそうです。

石橋のすぐそばに、石橋上部へとのぼることができる階段があります。階段をのぼると、水道橋上部を流れる水路を見学することができます。

↓この水は竹田市の稲葉川から取った水です。これを豊後大野市朝地地区へと運んでいく水路が若宮井路と呼ばれています。若宮井路の一部として、笹無田石拱橋が架かっている、という形となっています参照

石橋方向(北方向)を眺める

石橋とは反対方向(南方向)を眺める

 

以下の文章は現地案内板を引用したものです。

登録有形文化財
若宮井路 笹無田石拱橋


登録:平成八年十二月二十日

所在:竹田市大字狭田


若宮井路は、明治三十四年(1901)に通水した。稲葉川に水の取り入れ口を設け、本渠”ほんきょ”(線) 延長二〇キロメートル、支渠”しきょ”・分渠”ぶんきょ”から なり、朝地町の一三四ヘクタールの耕地に水を供給している。笹無田石拱橋は、当初は鉄管によるサイフォン方式であったが、明治三十六年(1903) に腐食し決壊したため仮設木造橋の時代を経て、大正四年(1915)に石拱橋に架けかえたが 翌年に壊れ、六年(1917)に再建された。石造二連アーチ橋で長さ五九メートル、幅四 メートルで道路と笹無田川をまたぐ巨大な橋として広く知られている。


平成十年三月
竹田市教育委員会

案内板と文化財登録の石碑

下の表は竹田市に存在する水路橋を含む石橋の数をまとめた表です(参照:『竹田は石と水の織りなす文化』(岡の里事業実行委員会)P.27)。合計57基の石橋が市内にあるようです。そのうちの一部だけ訪れたので、追々、ご紹介したいと思います。