負立八幡神社の境内に、合計6基の庚申塔が祀られています。前回の記事では、そのうち2基をご紹介しました。今回の記事では、残り4基の庚申塔をご紹介します。4基の庚申塔は負立八幡神社参道の左側にまつられています。
参道の左側に高木神社の小さな鳥居があり、その向こう側に庚申塔が祀られているのをみることができます。
庚申塔を手前がわから順番にご紹介します。
場所:福岡県飯塚市柏の森*1
座標値:33.6410828,130.70047
猿田彦大神、安永十年 辛丑二月十七日の銘が刻まれています。干支が辛丑(かのとうし)である1781年の建立だということがわかります。
↓こちらの庚申塔は猿田彦大神とのみ刻まれ、建立年月は不明。
↓こちらは、かろうじて八月十八日の銘のみが確認できますが、それ以外の文字は確認できず。
↓比較的、立派な笠付きの庚申塔は、猿田彦大神の文字が刻まれます。
寛延二己巳 八月穀且と刻まれています。己巳(つちのとみ)の干支である1749年の建立だとわかります。ただ「八月穀且」という見慣れない文字があります。穀且とはなんの文字でしょう。ヤフー知恵袋に答えが紹介されていました。
穀且は”こくしょ”と読み、穀旦”こくたん”という文字と同義ということです。
穀=善で、且=旦で日にちの意味だそうです。穀旦=善日=吉日の意味で間違えないということでした。
つまり、「寛延二己巳 八月吉日」ということなのだそうです。
負立八幡神社は国土地理院地図の地形分類を参照すると、「山地(ベージュ色)」にあたる部分に建てられています。平野部よりもやや高い場所となっています。
神社のすぐ西側には段丘(オレンジ色)…つまり河川により浸食されてのこった地形…があります。遠賀川の氾濫が過去に何度もおこったと考えられ、氾濫の被害が及ばない場所に負立八幡神社がつくられたと考えられます。よくみてみると負立八幡神社の南側には3つの神社と寺院がありますが、これらもうまく山地部分につくられています。比較的、古い時代につくられた建物なのかもしれません。
負立八幡神社の西側、「氾濫平野(緑色)」部にも神社・寺院があります。これらは遠賀川の堤防建築が発達したのちの、比較的新しい時代につくられたものかもしれません。
*1:”かやのもり”と読む