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福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

長崎街道 飯塚宿にあったポストの元祖『黒ポスト』 福岡県飯塚市本町

長崎街道沿いの史跡を探していると、福岡県飯塚市の本町商店街のなかに、今の赤色のポストとは異なる、黒い色のポストが設置されています。この『黒ポスト』がなんなのか、気になったので調べてみました。

場所:福岡県飯塚市本町

座標値:33.638836,130.684959

 

長崎街道の一部がアーケード商店街になっています。その商店街のなかに福岡銀行の飯塚本町支店があり、銀行の前に黒ポストが設置されています。

福岡銀行 飯塚本町支店

立派な外観の福岡銀行 飯塚本町支店




この「黒ポスト」は書状集箱(当時木製)を再現し、歴史の再認識と地域の活性化を計り平成11年4月20日逓信記念日に、ゆかりのあるこの地(飯塚宿本町)に設置されたものです。


黒ポストはレプリカであり、昔は、杉板を主に使ったものであったそうです。


現在の赤色箱型のポストとは異なり、黒色角柱型のポストです。1872年(明治5年)に東京府内往復郵便が開始され、このときから、角柱型の黒色ポストがつかわれはじめました(参照:HP『郵政博物館→郵便ポストの移り変わり 〜日本最初のポストから現在のポストまで〜』)

 

下のリンクはHP「郵政博物館」に掲載されている黒ポストの画像です。現在、飯塚市本町に展示されているレプリカと、外観がそっくりです。全国、共通してこのような形でポストが採用されたのだと考えられます。

 

黒ポストの画像↓

https://www.postalmuseum.jp/column/images/P2.%E9%BB%92%E5%A1%97%E6%9F%B1%E7%AE%B1%EF%BC%88%E6%A8%A1%E9%80%A0%EF%BC%89.jpg

 

飯塚市の黒ポスト前に展示されている案内板には以下のように説明がなされています。

 

黒ポスト前の案内板の引用

長崎街道は小倉~長崎間57里(228㎞)を「25」の宿場町で結ばれておりましたが、幕府の厳しい鎖国令下、長崎は我が国唯一の海外文化流入の窓口でした。近代郵便が東京~大阪間に明治4年3月に開通、9か月後の12月に小倉~長崎間(長崎街道)に近代郵便が開通しました。長崎に郵便局所(現郵便局)が開所し、街道筋の「16」宿駅に郵便取扱所が開業しました。当時の脚夫(運送員)は1人3貫目(25㎏)の荷を1刻(2時間)で5里(20㎞)を運ぶのが規定され、往時の苦労が偲ばれます。

 

1871年(明治4年)4月20日に新しい郵便が開業し、はじめて郵便ポストが採用されました。当初は「郵便ポスト」ではなく「書状集箱」と呼ばれました参照

 

まだ4月の時点では、長崎街道に「郵便ポスト」は設置されていなかったようです。おくれて1871年12月に、ようやく九州の長崎街道にも、新しい郵便制度が導入されました。”街道筋の16宿駅”が、具体的にどこであったのかは調べきれていませんが、そのうちのひとつに「飯塚宿」があったのでしょう。

 

1871年12月頃、飯塚宿にも「郵便取扱所」が設置され、その前に「黒ポスト」が設置されたのだと考えられます。

 

当時の黒ポストは”杉板を四角柱型にくみあわせ、その角に鉄板を張っていた"そうです。そして仕上げに黒ペンキを塗りました参照。黒ポストは、木材がメイン素材であったため、これが火災に遭い郵便物もいっしょに燃えてしまい、それから火災に強い素材である鉄製の赤色ポストが考案されたようです。


どうして黒色だったのか?

黒色に特に意味があったというわけではなさそうで、黒色から赤色に変更されたのは、"ポストの位置がわかりやすくなるように"、そして角型から丸型になったのは”通行のじゃまにならないように”、それぞれ理由があったようです。

 

わたしが子どものころ、見かけていた円柱型の赤色郵便ポストは1949年(昭和24年)から採用されはじめたようです参照。1945年(昭和20年)に終戦してから、鉄の供給がもどったためです。正式な名称は『郵便差出箱1号(丸型)』とよぶそうです。

 

赤色円柱型の郵便ポストの画像↓

https://www.postalmuseum.jp/column/images/P3.%E9%83%B5%E4%BE%BF%E5%B7%AE%E5%87%BA%E7%AE%B11%E5%8F%B7%EF%BC%88%E4%B8%B8%E5%9E%8B%EF%BC%89.jpg

 

アーケード側から眺めた福岡銀行と黒ポスト


飯塚宿はいつごろ設けられたのか?

山家宿は1611年に設けられ、内野宿は1612年に設けられました。また冷水峠は1612年、つまり、内野宿がつくられた同じ年に開かれました。そのため飯塚宿も1610年代前半につくられたのではないかと予想されています(参照:『長崎街道 大里・小倉と筑前六宿』P.66、67)

長崎街道の宿場町として栄えた飯塚宿