日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

長崎街道散策【黒崎宿~北九州市八幡東区西本町】その1

故郷である福岡県にもどってきてから、福岡県の史跡巡りをはじめて5年ほど経ちました。これまでの史跡巡りでは、史料やネット上の情報を拝読し、いってみたいと思った場所を手当たりしだいに訪れていました。そうしていくと、だんだん行きたいと思う場所が少なくなってき、これに「県外往来の自粛」などが重なり史跡巡りへの意欲が低下していっています。

 

地元でもっと自分が見つけられていない魅力的な史跡はないか、自宅で史料をさぐっていると、むかし購入した「長崎街道」に関する書籍をみつけました。長崎街道沿いの史跡巡りは以前にもおこなったことはありますが、ぽつりぽつりと各所の史跡を巡るだけでしたので、得た情報は断片的なものでした。

 

この際、長崎街道に沿って街道に関する史跡をゆっくりと巡ってみるのも、地元の知らない場所を発見できるのではないかと感じ、長崎街道散策をはじめてみました。

 

長崎街道は「豊前小倉の常磐橋(北九州市小倉北区室町2丁目)」から「肥前長崎(長崎県長崎市桜馬場1丁目)」までの、約223.8㎞の道程です。

 

今回の記事では、長崎街道の起点である「常磐橋」の西南西10㎞地点から西南西約8㎞地点までの区間を散策してみました。

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今回、散策したあたりを拡大したもの

黒崎宿があった「黒崎駅」付近から、八幡東区の西本町という地区まで、街道の順路とは逆方向に道をだとってみました。まずはじめに散策したのが黒崎宿の西側にある「乱橋(みだればし)」です。ここは江戸時代、黒崎宿の西のはずれで、宿場町の外にあたる場所です。当時、宿場町からでると周囲は田んぼと湿地がひろがる寂しい場所だったといいます。

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乱橋あたりは初夏になるとホタルが舞っていました。この橋あたりでは、橋に邪魔されたホタルがみだれて飛んでいたために、その様子を詠んだ俳句で「ほたる飛ぶ 松のはつれや 乱れ橋」というのがありました。ここから橋の名前が「乱橋」とついたといわれています(参照:『長崎街道(図書出版のぶ工房)』P.41)

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乱橋から、長崎街道の順路とは逆方向である東方向へ歩をすすめます。下の写真は東方向をみながら撮ったものです。向こう側まで長崎街道がつづいています。黒い車がとおっているあたりから黒崎宿がはじまるはずです。

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黒い車が通っているのが「ふれあい通り」という車通りの多い道です。この通り歩道の一角に、黒崎宿西構口跡の石碑がたてられています。

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さらに東へ歩を進めると約240mで黒崎商店街のアーケードに至ります。

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このカーブを曲がった先がアーケード

「くまで通り」という看板がかかげられたアーケード商店街がみえてきました。長崎街道は、このアーケードの中を通っています。雨天であったこともあり、商店街はやや薄暗い印象です。

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雨がしのげる場所にやってこれたので、ほっと息をつきます。傘をたたんで商店街を進んでいきます。

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アーケード街のなかに現在も「興玉神(おきたまのかみ)」が大切に祀られています。興玉神の石塔が木製の祠に祀られ、その前には立派な鳥居もたてられています。この場所は、宿場町のどまんなかだったと考えられます。宿場町に泊まった旅人たちが、ここで旅の安全を祈願したのでしょうか。

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190mほどのアーケード街を抜け、再び雨のそぼ降る外へとでます。

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下の写真は「くまで通り」をふりかえって、西側を向いて撮ったものです。「くまで通り」をでた付近に「なかばし川」と刻まれた橋の形をした石碑がたてられています。今昔マップで調べてみると、どうもこの場所には南東から北西へむかって流れる川が大正時代まであったようです。その川に架かる橋が、この場所にあったと考えられます。下の写真だと川は、道路の左側から右側方向へ流れ、洞海湾へとそそいでいたことになります。

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文章がながくなってきたため、今回の記事はここまでにします。