北九州市八幡西区の則松(のりまつ)という地区に、則松小学校があります。この学校、もともとは別の場所にあったことが、ひょんなことからわかりました。地元のかたから小学校の昔話をきいたのです。
現在の則松(のりまつ)小学校は、「福岡県北九州市八幡西区則松2丁目1−1」にあります。開校当時の則松小学校は、現在の「則松公園がある場所(福岡県北九州市八幡西区則松6丁目7)」にあったということです。
この、旧則松小学校があった場所に、なにか小学校の痕跡がないか調べにいってみました。旧則松小学校があった場所…つまり、現在の則松公園は↓下の写真のような住宅街のなかの公園です。
旧 則松小学校の校庭であった場所を、そのまま公園に転用しました。
公園内を散策してみると、公園の北東入口ふきんに、小学校跡であるという痕跡をみつけることができました。
場所:福岡県北九州市八幡西区則松
座標値:33.852399,130.721187
石碑には「清水小学校・洞南南小学校・則松小学校 発祥の地」と書かれています。則松小学校はわかりますが、清水小学校と洞南南小学校の発祥とはどういうことなのでしょう?
この地にあった小学校は、”のちに則松小学校となる旧 則松小学校”ではないのでしょうか。調べてみました。則松小学校の歴史について、詳しく書かれているサイトがありました。
このサイトに紹介されている内容を、おおざっぱに図にあらわすと以下のようになります。どうも、清水小学校、洞南南小学校というのは、「則松小学校」という名前になる前身の学校のようです。
石碑がたてられている「則松公園」がある場所は、どうも、字(あざ)名が「清水谷」とよばれていたようです。この清水谷に学校が建てられたのは、明治10年の1月です参照。明治10年は1877年。当時の小学校の名前は「清水小学校」です。
地元のかたの話によると、清水小学校当時は、校門から校庭に入ってすぐの場所に「奉安殿(ほうあんでん)」という石造りの建物があったそうです。「教育勅語」参照が書かれた紙が白い桐箱に入れられ、奉安殿に納められていたということです。しかし、昭和23年…1948年…には教育勅語は廃止され、奉安殿も取り壊されました。
「則松小の歴史」を参照すると、清水小学校は、洞南南尋常小学校、則松尋常高等小学校と名前を変えたようです参照。その後、現在の則松小学校がある「則松2丁目1-1」に新校舎ができ、そちらへ小学校が移転するかたちとなりました。
現 則松公園の場所にあった旧 則松小学校は、いつごろ取り壊されたのでしょう。今昔マップをみてみると昭和44年…1969年…には学校はなくなっています。
「則松小の歴史」では、昭和13年…1938年…6月には、現 則松小学校が完成していたということなので、1938~1969年の間に「旧 則松小学校」は取り壊されたと考えることができます。
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旧 則松小学校の跡を探索してみましたが、調べてみると旧 則松小学校よりもさらに古い時代につくられた宮本小学校というのが、(字)五郎丸という地区で開校されたことがわかりました参照。
現在でも五郎丸という名が残っている公園が、「福岡県北九州市八幡西区永犬丸2丁目3」に残っています。この辺りを散策すると、宮本小学校の跡…つまり観音堂…が残っているのかもしれません。当時は「学校」というより「寺子屋」という感じの学習塾という感じだったのかもしれません。