福岡県北九州市若松区に標高302.5mの石峰山(いしみねやま)があります。その石峰山山頂から西北西へ約720mいった地点に、これまた標高233mほどの、ちいさな峰があります。下の地形図で示すと地点①の場所です。
この地点①に、電波標定機…つまり火器をさがしだすためのレーダーを設置していた基礎がのこっています。
場所:福岡県北九州市若松区大字小石
座標値:33.9043697,130.7646111
火器…つまり戦闘機を探しだすためのレーダーが、いつの時代につかわれていたのでしょう。こちらのサイト「石峰山高射砲陣地」を参照させていただくと、この照空灯の南南東420m地点の「七糎高射砲」が昭和16年12月に設置…とされています。昭和16年(1941年)といえば、太平洋戦争がはじまった年です(参照:『もういちど読む 山川日本史』P.307)。
七糎(センチ)高射砲はさいだいで11000mの高さにまで弾がとどく性能があったということで、できるだけ高く見晴らしのいい場所に設置し、戦闘機の襲来にそなえたのですね。
高射砲陣地跡がある場所を、下の地形図の地点②にしめしています。
レーダーが設置されていた場所と、高射砲が設置されていた場所は400mもはなれていますが、これはあえて軍事施設をひとかたまりにしていなかったためと考えられます。
今回おとずれた「電波標定機基礎」とは別に、地点②の高射砲、さらにほかにも3か所の照空陣地、高射砲陣地があるといいます(参照:『北九州歴史散歩 筑前編』P.22-25)
今回おとずれた地点①の「電波標定機タチ3号基礎」は、むかし軍用道路としてつかわれていた道から、すこしはずれた場所にあります。むかしの軍用道路は、現在もアスファルトで舗装されたしっかりした道になっています。車がかろうじて離合できるほどの幅の道です。
その道上である地点(33.903503,130.765001)を写真で示すと上のようになります。ちょうど峠となっている地点です。峠の脇には写真右側のように石仏が数基まつられています。
石仏にむかって左側に森のなかへ北方向へとつづく道があります。道といってもわずかな踏み跡があるのみです。その踏み跡も森のなかへ数十mはいっていくと消えます。あとは自力で電波標定機基礎をさがすしかありません。
落ち葉がつもっている森のなかにぽっかりと大きな穴があいているのを発見できます。下の写真の電波標定機基礎は地点(33.9039221,130.7646242)ふきんにありました。
この基礎とは別に、もう1基の電波標定機基礎をみつけることができました。もしかしたら、ほかにもあるのかもしれませんが、今回わたしがみつけることができたのは合計2基でした。
上部に突起がついた鍵穴型の穴です。地面に穴を掘り、掘った壁を厚さ30㎝ほどのコンクリート壁で囲っています。この穴のなかに電波標定機を設置していたのですね。
おそらくもう80年ちかく前の史跡です。コンクリート壁にはヒビははいっていますが崩壊せずしっかりと残っています。
この基礎から北へ約50mいった地点にも電波標定機基礎がありました。地点(33.9043496,130.7645684)。
つくられた当時は、おそらく周囲の樹々は刈られており、人が寝泊まりする建物などもつくられていたのでしょう。その痕跡はみつけにくいのですが、基礎周辺は平らにならされており、わずかに、その平らの部分の周囲には土がもられているのがわかります。
今回の記事はここまでです。わたしが今回、石峰山の戦争遺跡を訪れたのは、もうひとつ、地点②にある「七糎高射砲陣地跡」です。また別の機会にご紹介したいとおもいます。