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福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

小敷集落を守ってもらうために祀った汐分地蔵 福岡県北九州市若松区小敷

汐分(しおわけ)地蔵について、はじめて知ったのは『北九州歴史散歩〔筑前編〕』(北九州市の文化財を守る会編)P.39ですが、いくつかの史料にも、この汐分地蔵のことが記載されています。

 

汐分地蔵は、福岡県北九州市若松区の小敷(こしき)という地区に祀られている、お地蔵様です。

場所:福岡県北九州市若松区小敷

座標値:33.897453,130.704003

 

「汐分(しおわけ)」という名前のとおり、”汐を分ける”、つまり”海水と真水とを分ける”という意味を示すお地蔵さまのようです。

 

汐分地蔵が祀られている場所を地図で確認してみますと、下の図のようになります。汐分地蔵は、江川という川のそばに祀られています。洞海湾(どうかいわん)から満ちてくる潮と、遠賀川から流れてくる真水とが、ちょうどこのあたりでぶつかるそうです。

下の図で赤く示した地区は、昔、「庄の江(しょうのえ)」と呼ばれていました。庄の江は「潮の会(しおのえ)」…つまり潮がぶつかる場所という意味の呼び名が転化したものと考えられています。

 

参照:『北九州歴史散歩〔筑前編〕』(北九州市の文化財を守る会編)P.39

この汐分地蔵。もともとは小敷地区の鬼門除けのために祀られたものとも伝えられています。大正11年に測定された小敷地区の地形図を『今昔マップ』で確認してみます。小敷地区は、山間につくられた小さな集落であったことがわかり、汐分地蔵があったと思われる場所は、集落の入口であったことが確認できます。

 

参照:今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)

疫病や害悪が集落内に来ないよう守っていただくために地蔵尊をお祀りした、と自然に想像できます。

 

この汐分地蔵は、実際にはいつごろに祀られたのでしょう。その年代を示す証拠が汐分地蔵が祀られている敷地内に残っています。こちらの石塔です。

「嘉永七年寅七月」と刻まれています。嘉永七年は西暦1854年で、この年の干支は甲寅(きのえとら)です。おそらく、汐分地蔵がこの地に祀られた年なのではないかと想像されます。

 

現在の汐分地蔵は、このような立派なお堂のなかに祀られています。『若松史 令和3年改訂』(若松に玄関をつくる会)P.68によると、このお堂は2012年6月に新築された、とあります。

非常に立派なお堂で、室内の清掃がいきとどいています。お供えもののお花も美しいです。私がこのお堂を訪れたときも、どなたかが供えた線香から、まだ煙がたっていました。

 

汐分地蔵の祀られる、このお堂は現在、「地蔵菩薩 中央四国大詣り第三十九番札所」、「観音菩薩像 中央四国大詣り第八十七番札所」となっています。

↓こちらはお堂から眺めた景色です。前を江川(えがわ)が流れています。

↓江川の東側(洞海湾方向)を眺めた写真です。この先に汐分橋(しおわけばし)が架かっています。汐分という名前が残っている貴重な橋です。

↓江川の西側(遠賀川方面)を眺めた写真です。かつて、江戸時代は、この方向には小さな集落があっただけなのですが、現在では多数の飲食店や新興住宅街がつくられています。

ずいぶん景色が変わったのでしょう。