大分県 国東半島の国見町 竹田津という地区をあるいていたとき、草むらのなかに小さな石塔をみつけることができました。庚申塔かなにかかと思いよく観察してみると、その石塔には、あまり見慣れない名前の神様が刻まれていました。
場所:大分県国東市国見町竹田津
座標値:33.665847,131.560942
笠付の石塔には「土公神」という文字が刻まれていました。この文字は「どくしん」または「どこうしん」、さらには「どくうじん」とも呼ぶそうです参照。
『宿なし百神(川口謙二著)』P199には「どぐうしん」と紹介されています。
土公神は何から生まれた神様?
土公神はもともと陰陽道参照の考え方から生まれた神様です。陰陽道の考え方のひとつに、世の中のすべてのものは「木・火・土・金・水」の5つからつくられるというものがあるようです。この5つの要素をつかさどる神様が土公神であると考えられます。
さらに『宿なし百神(川口謙二著)』P200では…「土でカマドをつくり、金の鍋に水をいれ、木をくべて火で煮て食べる」ことから、土公神は生活の中心である飲食を受け持つ神様であるとし、家の親神さまとして信仰される…と紹介されています。
土公神は その土地から離れられない
土公神は人の生活の中心となる神様で、土公神-Wikipediaでは特に”土”をつかさどる神様と紹介されています。生活の中心の神様であり、土地の神様であることから、家で土公神を祀った際は、他の神様よりも最優先でおそなえものがささげられるそうです。
また生活の中心の神様であり、土地の神様であることから、その土地や家からは絶対にはなれられないとされています。
土公神から地主神へとなる
よって土公神をまつった家の人が引っ越したときも、当然、土公神は家の人とともに写れないために、その土地に残ることとなります。もし古い家が壊されるようであれば、土地の片隅に小さな祠をたてて土公神を祀るそうです。
こうなると土公神は”土公神”という名前から”地主神”となります。
以前に大分県豊後高田市の見目という地区を歩いていたとき、家の跡地と思われる片隅に石祠が祀られていました。ぼんやりと、屋敷神がそのまま残されたのでははないかと想像していましたが、この土公神のことを知って、もしかしたら土公神が地主神となった際にたてられた祠なのではないかと思えるようになりました。
場所:大分県豊後高田市見目
座標値:33.674538,131.544862
では今回、国見町竹田津でみつけた土公神は、どういう目的でこの場所に祀られたのでしょう?土公神が祀られている場所を、衛星写真でみてみます↓
現在も住まている家の裏側の道ばたに土公神は祀られていました。土公神はこの家の神様であるという可能性とともに、以前に建てられていた家に祀られていた土公神であるという可能性も考えられます。もしかしたら、以前はこの場所に数件の家がたっており、そのうちの1件に、今回みつけた土公神が祀られていたのかもしれません。