福岡県嘉麻市にある射手引神社に「大田神」という神様の名前が刻まれる庚申塔が祀られています。その情報が得られたのは『庚申信仰 (小花波平六著)』P.219で、ここでは”大田神の庚申塔”が列挙されています。
こちらの写真が射手引神社の正面参道です。参道の階段をあがっていくと、すぐ右側に上山田公会堂と呼ばれる集会所があり、この集会所の脇に本殿へとつづくスロープがのびています。
そのスロープ脇に自然石の庚申塔がまつられています。庚申塔が祀られている場所は、参道階段の脇でもあるので目のつく場所です。
場所:福岡県嘉麻市上山田
座標値:33.555594,130.767277
庚申塔正面には「大田神」と刻まれています。そして裏側には「天明三癸卯 春三月吉日」とあります。天明三年は1783年、干支は癸卯(みずのとう)で記銘されている文字と整合します。
この大田神というのは、どのような神様なのでしょう。『石の宗教 (五来重著)』Kindle位置番号2451には、大田神は猿田彦大神の別名であることが紹介されています。
少し長くなりますが、その箇所をぬきだしてみます。
庚申の神を「猿田彦大神」とするのは、申(さる)と猿の相通からきたことはもちろんのことであるが、天孫降臨のとき、その道の露払いをしたとあるように、禍をはらう力がこの神にあるとかんがえたことによるであろう。したがってこの神は「道の神」として道祖神ともなる。
しかしそれよりも重要なのは、猿田彦神は「大田神」ともよばれて、「田の神」すなわち豊作の神とされることである。庶民のあいだの庚申講は、後世になるほど豊作祈願になった。そのために「田の神」と同格の猿田彦神を庚申講の本尊として拝んだのであって、三尸虫説とはまったく異質的な庚申信仰であった。そして「田の神」というものは決して外来の神ではなくて、農耕を生活の手段とする日本固有の神である。
時代のながれとともに、猿田彦大神は庚申信仰のもともとの神様の役割をはなれて、「田の神」様としての役割をになうこととなったようです。
今回ご紹介した大田神の庚申塔が、「田の神」として祀られたのかどうかは不明です。