日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

天神社の参道脇に祀られる三基の庚申塔 福岡県嘉麻市上西郷

福岡県嘉麻(かま)市の上西郷 久吉という地区に、天神社が鎮座します。この神社の参道脇で三基の庚申塔に出会うことができました。

地図で確認してみると、天神社は嘉穂中学校のすぐ北側に鎮座していることがわかります。民家の間を通って神社へと歩を進めます。このような場所を通っていくのは、よそ者なので、とても勇気がいります。

杜のなかに入って自分の姿が周囲から見えなくなると、ホッとします。

参道脇に三基の庚申塔が祀られています。右側から順に「大田神」「猿田彦大神」「猿田彦大神」と刻まれています。

場所:福岡県嘉麻市上西郷

座標値:33.545110,130.736264

 

↓一番右側の庚申塔です。

「大田神」と刻まれる庚申塔には左右側面に「文化四丁卯天 十一月吉日」と刻まれています。文化四年は1807年で、干支は丁卯(ひのとう)です。

 

石の宗教(五来重著)』に、大田神は猿田彦大神の別名と紹介されています。

猿田彦神は「大田神」ともよばれて、「田の神」すなわち豊作の神とされることである。庶民のあいだの庚申講は、後世になるほど豊作祈願になった。そのために「田の神」と同格の猿田彦神を庚申講の本尊として拝んだのであって、三尸虫説とはまったく異質的な庚申信仰であった。そして「田の神」というものは決して外来の神ではなくて、農耕を生活の手段とする日本固有の神である。

 

右側から二番目の庚申塔には「猿田彦大神」と刻まれているのが、はっきりと読み取れます。

庚申塔の右側面に「文□十二年 十月吉日」と刻まれているように見えます。一番はじめの文字が「文」であるかも怪しい感じです。仮に「文」であったとしたら、可能性として、「文化十二年」「文政十二年」だと考えられます参照

 

文化十二年=1815年

文政十二年=1829年

いずれにしても、1800年代前半の建立であったと予想されます。

↓一番左側の、笠付きの庚申塔は、刻んだ文字がだいぶ風化し見えなくなっています。建立年も確認することができませんでした。

 

天神社には「正人どん」のお墓を探しにきたのですが、それらしきお墓をみつけることはできませんでした。

 

参照:堀り開削のために犠牲となった『正人どん』 その遺構を訪ねる 福岡県嘉麻市上西郷 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ

天神社の拝殿脇から、墓地へとつづく山道はみつけることができました。

しかし、その先の墓地へは、道がわるくなっていて踏み込むことがためらわれました。

 

結局、「正人どん」の墓石はみつけることはできませんでした。