日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

どうして不自然にまがる線路が敷かれているのか? 福岡県築上郡築上町 下別府

福岡県に、不自然な曲線をえがいて線路が敷設されている場所があります。その線路はJR日豊本線の一部です。日豊本線は、福岡県北九州市から大分県を経由し、鹿児島県鹿児島市までをむすぶ線路です参照

 

下の衛星写真をみると、その問題となる箇所がわかると思います。福岡県築上郡築上町にある新田原(しんでんばる)駅と築城(ついき)駅との間に、下の写真のような”不自然に線路が曲げられた”箇所があります。

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日豊本線がわかりやすいように赤い点線であらわしています。日豊本線のすぐとなりに航空自衛隊築城基地があることから、この不自然な曲線がどうして生まれたのか、なんとなく想像ができるのではないかと思います。

 

ざっくりと結論からいうと、自衛隊の基地をさけるために線路が敷設されたということなのですが、この曲線が生まれるまでは、複雑な歴史があるようです。

 

もともと空港ができる前に線路が敷かれていた

JR日豊本線と名前が変わる前に、この線路を管理していたのは豊州鉄道でした。豊州鉄道は1897年(明治30年)に福岡県行橋市から大分県宇佐市まで線路を敷設・開業しました。この区間に問題となる築上町の線路区間も含まれています。

 

一方、現在の航空自衛隊築城基地の前身となる「海軍築城飛行場」が同じ場所にできたのは1942年(昭和17年)です。

 

空港ができる45年も前に線路が敷設されていたのですね。当時の線路は↓下の衛星写真に赤点線であらわしたように、ほぼ直線で敷設されていたと考えられます。

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はじめは飛行機が気をつかっていた

1942年(昭和17年)にできた「海軍築城飛行場」では飛行機を離着陸させるときには、列車通過の合間に離着陸をしていました。どうしてこんなことをしなくてはいけないかというと、航空法で以下のように決まっているからです。

 

航空機の上昇角度はオーバーランの端から1/50とし、この角度の上につきでる建造物を禁止する

 

上昇角度が1/50とあります。航空機は50m水平方向へすすんだら1m垂直方向へ上昇するという前提で、滑走路の周囲に高い建物をたててはいけない…ということのようです。

 

海軍築城飛行場の滑走路の端から、豊州鉄道までの距離は260mあったといいます(参照:『九州の鉄道おもしろ史(弓削信夫著)』P304-305)。航空法の上昇角度1/50を参考にすると、260m水平方向にいった場合、5.2m航空機は垂直方向へ上昇するという計算になります。

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 しかし上図↑をご覧いただくとわかるように、旧線の地面からの列車高は6.5mあります。260mに対して5.2mしか上昇しない航空機は列車に接触してしまう計算になります。万が一、航空機がオーバーランしてしまえば、列車と接触して大事故がおきる可能性があると考えられます。

 

こういう理由から、”飛行機を離着陸させるときには、列車通過の合間に離着陸をしていた”のですね。

 

次は列車のほうが気をつかうようになった

 先に線路が敷かれていたので、日本空軍は鉄道会社に大きな顔ができなかったのです。しかし太平洋戦争がおわり、海軍築城飛行場をアメリカ軍が占領すると、こんどは鉄道会社が大きな顔をできなくなりました。

 

こんどはアメリカ軍の航空機が飛行場を離着陸する時間帯は、列車のほうを停めなければならなくなりました。

 

ついに線路が曲げられた

 アメリカ軍が撤退したあと、築城飛行場は航空自衛隊がひきつぐことになりました。航空自衛隊がひきつぐと、以前のように列車の通過の合間に航空機が離着陸することとなりました。

 

これで一件落着のように思えましたが、これは蒸気機関車時代のはなしです。列車が電化され、線路わきに電柱をたてる必要性がでてくると、また問題が発生しました。

 

電柱の高さは地面から7.9mもの高さになるといいます(参照:『九州の鉄道おもしろ史(弓削信夫著)』P.306)。電柱は移動する列車と違って、ずっとそこにあるわけなので、航空機の接触の危険がつねにつきまとうこととなります。

 

そこでついに線路が曲げられることとなりました。

 

曲げられた箇所は、現在でいう新田原駅と築城駅との間の区間です。この区間の線路が、まるで弓をひくような形で、南西へ約290mグググっと曲げられました。

 

築城駅から北西へ約550mいった場所に、旧線の痕跡をみることができます。

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築城基地と日豊本線との間には国道10号線がはしっています。この国道10号線のすぐとなりに旧線がはしっていたと考えられ、線路の盛土とおもわれるものを確認することができます。

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撮影場所座標値:33.677153,131.029105

 

この道はよく通っていたのですが、まさか何の変哲もないこの道に、上記のような歴史があるとは思いませんでした。

 

こちら↓の写真は「築城浄化センター」南側の踏切から行橋市方面(北西側)をながめたものです。たしかにグググっと曲線を描いているのがわかります。

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 撮影場所座標値:33.675703,131.026658