福岡県北九州市に、むかし、「大蔵線(おおくらせん)」と呼ばれる鉄道路線がありました。現在は廃線となっています。その廃線史跡のひとつである、尾倉橋梁を2019年9月29日(日)に訪れてみました。
場所:福岡県北九州市八幡東区尾倉
座標値:33.864119,130.801098
現在、海岸沿いを走っているJR鹿児島本線とは異なり、大蔵線はやや内陸部を走っていた路線でした。※鹿児島本線は路線の一部を表しています。
大蔵線が開通した年は1891年(明治24年)です。大蔵線は、長崎街道に沿ったかたちで敷設されました。
大蔵線は、もともと上の図でいうと、黒色の路線(現在の路線である鹿児島本線)に沿って敷設される予定でした。しかし、当時の陸軍により反対され、それよりも内陸部に敷設されることとなりました。陸軍が、海からの砲撃による線路破壊を危惧したためです(参照:Wikipedia-大蔵線)。
結局、海岸沿いの路線はのちのちに敷設され、大蔵線は1911年(明治44年)に廃線となりました。大蔵線が使用されたのは、わずか20年でした。
その大蔵線が通った跡として残っているもののひとつが、この尾倉橋梁です↓
場所:福岡県北九州市八幡東区尾倉
座標値:33.864119,130.801098
以前、線路が走っていた場所は、現在では道路として活用されていますので、この尾倉橋梁では道路が立体交差している形となっています。上の写真は尾倉橋梁を南側から撮ったものです。
Google mapの衛星写真で確認すると立体交差している様子がわかりやすいと感じました。
一枚目にご紹介した写真をもういちど載せてみます↓ この写真は尾倉橋梁を北側から撮ったものです。
↓こちらは橋梁の下を撮った写真です。明治時代につくられたために、レンガを主に使用しています。
壁は煉瓦の長手と小口を交互に積むイギリス積み。アーチは煉瓦の小口を五段積みにした弧型アーチで、アーチののる迫台(せりだい)は花崗岩の切石積(抜粋:案内板)
レンガを積んで作ったアーチの両側を、重量のある花崗岩でできた迫台(せりだい)で挟んで崩れにくくした…ということのようです。
北九州市のホームページ(旧九州鉄道橋梁跡)では、もうひとつの橋梁跡である「茶屋町橋梁跡」とともに、この尾倉橋梁が紹介されていました。