福岡県北九州市小倉北区の日明(ひあがり)に「板櫃川(いたびつがわ)」という川が流れており、ここに「極楽橋(ごくらくばし)」という珍しい名前の橋がかかっています。どうしてこのような珍しい名前がつけられているのか? 調べてみると、ここ日明(ひあがり)地区の歴史がうかびあがってきます。
場所:福岡県北九州市小倉北区日明
あえて現在は「極楽橋」と名前が変えられていますが、明治時代以前は「地獄橋」と名付けられていました。その名前の由来は、処刑場へむかうときに渡らなければならない橋であったためです。
「日明浜処刑場」は極楽橋から直線距離にして北西約540mの場所付近にあったといいます。その場所には「日明濱處刑諸霊塔」と刻んだ供養塔が祀られています。
供養塔の座標値(33.894356,130.859241)
私は実際にはこの場所へは行くことができなかったので、Google mapのストリートビューで確認してみます。
この処刑場へといたる道中に「首切地蔵」が祀られています。江戸時代、罪人は市中引き回しの上、地獄橋をわたり、首切地蔵前をとおり処刑場へと運ばれました。首切地蔵から供養塔までの距離は西方へ約130mです。
首切地蔵 座標値(33.893924,130.860473)
死罪が確定した者は処刑のために八百屋町→室町筋→鋳物師町→平松へ出て、板櫃川の「地獄橋(今は極楽橋)」を渡り、首切地蔵の前を通り処刑場で処刑されました(参照:北九州市HP-処刑場跡)
「八百屋町→室町筋→鋳物師町→平松」という経路は、小倉城から西方向へとすすんでいく経路です。平松という地区から板櫃川にかかる地獄橋をわたることになったのですね。
下の写真は平松地区側から西側(処刑場方向)をながめた写真です。
橋の銘板(めいばん)には「ごくらくばし」と書かれています。
航空写真で各所の位置関係を確認してみます。極楽橋から処刑場までの行程は約600mで細い路地がつづいています。この路が旧道であり、「日明浜処刑場」という名前からも、処刑場のすぐ北側が海岸であったことが想像されます。おそらく鹿児島本線がはしっている場所が、海岸線であったのではないかと考えます。
今回、極楽橋を知ったのは『北九州歴史散歩 豊前編』P88です。