『九州の鉄道おもしろ史(弓削信夫著)』P40-42を拝読していると、写真にレンガ造りの三連眼鏡橋というのが紹介されていました。文化財としての名称は「旧九州鉄道城山三連橋」といいます。その眼鏡橋が造られた鉄道路線というのが、現在の名前であればJR鹿児島本線です。
JR鹿児島本線の福岡県筑紫野市にある、二日市駅と原田(はるだ)駅との間に「旧九州鉄道城山三連橋」が架けられています。
場所:福岡県筑紫野市大字永岡
座標値:33.466193,130.536075
この橋の上から東へ約200mの場所にJR鹿児島本線が走っています。↓下の写真は三連橋の上からJR鹿児島本線を走る電車を眺めたものです。
三連橋の上を眺めると、↓下の写真のようになっています。昔の線路跡は道路になっています。その道路のすぐ隣に「久留米基山筑紫野線(国道17号線)」という大きな道路が走っています。
九州鉄道開業当時は、この道が線路であり、のちの時代に東側へ数100m線路が移動されたと想像されます。ではどうして線路が移動されたのでしょう?その理由が『九州の鉄道おもしろ史(弓削信夫著)』P40-41に紹介されています。
九州鉄道開業当時、二日市駅と原田駅とを結ぶルートには「仮塚峠(かんづかとうげ)」という1/50の勾配の峠がありました。この峠を蒸気機関車が走るのは、かなりの重労働だったそうです。
ときには、蒸気機関車が峠をのぼる途中で力つき、峠の下まで後退してしまうこともありました。後退してしまったら、平地でまた助走をつけていっきに峠を越す必要がありました。
大正9(1920)年、二日市-原田間を複線化する際、「仮塚峠」を越すのはもうやめよう…という意見があり、現在の線路の場所である数100m東側へ線路を移動することとなりました。
そして古い路線は廃止され、現在の車道へと変貌したわけです↓
古い路線が廃止されましたが、三連橋が壊されずに残っているのは、保存しようという声があがったためで2019年現在では、国登録有形文化財となっています(参照:筑紫野市HP-旧九州鉄道城山三連橋梁)
↑上の写真は橋を西側から撮ったものです。橋梁の手前には国道のコンクリート製の橋が架かっていて、やや薄暗くなっています。レンガが整然と並べられ造られたアーチ橋は、見ていて美しさを感じます。
2018年10月13日にご紹介した福岡県田川郡にある「内田三連橋梁」とは異なり、橋をどちら側から見ても、綺麗に平らとなっています。内田三連橋梁は、造られたあとも増築を計画していたため、表面が凸凹となっていました。
参照:田園のなかにあるレンガ造りの美しい橋 福岡県田川郡 内田
久しぶりの鉄道遺産探訪でした。