『九州の鉄道おもしろ史』(弓削信夫著)に紹介されている情報をもとに、福岡県の鉄道に関する史跡をめぐっています。今回は、福岡県筑紫野市山家(やまえ)と飯塚市内野(うちの)をむすぶトンネルである、冷水(ひやみず)トンネルに関する記事を読むことができました。
冷水トンネルは全長が3286mもあり、蒸気機関車がはしっていた時代には、機関車から排出される煤煙がトンネル内にこもってしまうという問題がありました。
この問題を解決するために考えだされたのが、直径3mの扇風機をトンネル入口に設置するというアイデアです。
場所:福岡県筑紫野市山家
座標値:33.503797,130.596475
実際に、巨大な扇風機が設置されていたのは、筑紫野市 山家側のトンネル入口のみです。どうして、反対側の飯塚市 内野側には設置されていなかったかというと、上図のように、トンネルには勾配があり、内野側のほうが高くなっていたからです。
煤煙は高いほうに流れてゆくので、山家側にひとつ扇風機を設置すれば、トンネル内の煤煙は標高の高い内野側へスムースに排出されるというわけです。
山家側から列車がトンネルへとはいる直前、線路に電流がながれている【始動点】をふむと、自動的に扇風機がまわりはじめ、煤煙が排出されるというしくみでした(参照:『九州の鉄道おもしろ史』P398)
この扇風機をまわすための施設が、山家(やまえ)側のトンネル入口に建設されていたのだそうです(参照:『九州の鉄道おもしろ史』P397-398)
1949年(昭和24年)に造られたこの施設は、蒸気機関車がはしらなくなったために、1974年ごろ(昭和49ごろ)にはとめられ、現在(2019年6月30日)ではもうなくなっていました。
現在の冷水トンネル入口(山家側)です↓ トンネルの上は植物におおわれうっそうとしていました。しかし、わずかに施設の跡らしきコンクリート製の建造物が残っていました。
↓コンクリート製の柱が数本、トンネル上部に設置されています。おそらく、この柱の上に三角屋根の建造物がたっていたと想像されます。
↓実際、柱の上は平らとなっており、その平らの部分の上には建物の基礎とおぼしき建造物が残っていました。もしかしたら、トンネルのなかには、昔の扇風機が設置されていた名残があるのかもしれません。
この撮影場所へいくには、車通りの多い国道200号線からはずれた細い道へとはいっていく必要があります。この「細い道」は、昔の長崎街道です。撮影場所へは長崎街道から、さらに細い道…車が通れないほど…へと徒歩でいくしかありませんでした。
地元のかたたちが使用する農道なのでしょう。昔の長崎街道のはしっこに車を停め(座標値:33.503965,130.597949)、徒歩で冷水トンネル入口(山家側)へとゆき、撮影を終え帰ってくるまでのおよそ30分間、1台も車は通ることはありませんでした。