場所:大分県国東市国見町千燈
座標値:33.628586,131.598932
2019年12月1日に、大分県国東半島の旧千燈寺(せんとうじ)を久しぶりに訪れました。12月1日に豊後高田市の長岩屋という地区で、「鬼会(おにえ)の里まつり 2019」が開催されたため、これに参加し、その後、旧千燈寺に立ち寄ったのです。
旧千燈寺の境内には、千燈墓地があり1000基におよぶ五輪塔が祀られます。詳細は不明ですが、旧千燈寺や周辺で生活していた人々の霊を弔うための塔と考えられます。久しぶりの再訪ですが、むかしと変わらない風景に心が落ち着きます。
旧千燈寺の境内は広大で、ぐるっとすべて歩くと20分-30分ほどかかります。写真は護摩堂跡で、ここの紅葉はとても美しいです。豊後高田市に住んでいたとき、この場所の紅葉は毎年のように見にきていました。大きなイチョウの樹から落葉し、イチョウの葉の黄色いじゅうたんが護摩堂跡にひろがります。
↑上の写真は参道を登っている途中で護摩堂跡をふりかえって見たものです。写真の左側に見えるのが、石畳でできた参道です。参道に沿って山王権現跡や講堂跡などが並びます。
美しいモミジのグラデーションに目を見張ります。日光に照らされるとその美しさが、いっそう高まります。
↓下の写真は、旧千燈寺境内にある山王権現跡です。山王権現を調べてみると、【山岳信仰】【神道】【天台宗】が融合した神仏習合の神…とあります(参照:Wikipedia-山王権現)。
国東半島では【山岳信仰】【八幡信仰】【天台宗】が融合し六郷満山という独特の文化が生まれました。山王権現と六郷満山は、なにか密接な関係がありそうです。
↑こちらは仁聞(にんもん)国東塔です。仁聞は国東半島で、奈良時代に多くの寺院を開いたとされる伝説の僧と伝えられます。
仁聞が亡くなったとされるのは、旧千燈寺【奥の院】の左側にある岩屋とされますが、供養塔が立てられているのは、その岩屋から少しはなれた写真の場所です(座標値:33.628787,131.598469)