福岡県中間市の、この神社の前を通るたびに気になっていました。福岡県の中間市役所ちかくにある「笹尾川橋(ささおがわばし)」交差点の一角に、小さな神社があります。この小さな神社の境内に、庚申塔らしき石塔が本殿の隣にまつられているのが見えていたからです↓ 今回は、こちらの厳島神社に祀られる石塔が、ほんとうに庚申塔であるか確かめるために行ってみることにしました。
神社前の道路は、遠賀川の土手沿いをはしる県道73号線です。地図で厳島位置を確認してみます↓
県道73号線はかなりの交通量で、厳島神社がある交差点は三叉路となっていることもあり、通勤帰宅時間のときにはたくさんの車で渋滞することもあります。信号待ちで多くの車が停まっている目の前で、神社に参拝しづらい感じはありましたが、本日は意を決していくこととしました。
コンクリート製の11~12段の階段をのぼると、すぐに拝殿があります。拝殿の奥に本殿が祀られ、本殿前に小さな賽銭箱があります。ここでお参りを済ませ、拝殿の右側へと回ります。
↓本殿が建てられている台座の横に、目的とする石塔が祀られていました。「猿田彦大神」とのみ刻まれています。この庚申塔の側面や後面には、建立年月などの記銘はされていません。いつごろ建てられたものなのかは不明です。
場所:福岡県中間市中間
この庚申塔が祀られている厳島神社について、『なかま』(安田賢史 編、中間市歴史民俗資料館 発行)P25に、由緒が記されています。
唐戸の稲荷郷にある厳島神社は市杵島姫(いちきしまひめ)…宗像三神…を祀り、古くは惣社山と呼ばれた惣社宮の旧跡にあります。明治時代までは「弁財天」と呼ばれ、堀川沿いの十六ヶ村の鎮守の神とされました。
(中略)
石の鳥居は、堀川開削の為に本殿と離れて建っています。お正月は紫の房付きの垂れ幕や五色の旗、祭壇には三方に供物が盛られます。
この厳島神社の近くには、中間唐戸水門とよばれる史跡が残っています↓
遠賀川が増水したとき、川の水が住宅地にあふれでてこないようにするのを目的に、1762年に造られました。この唐戸水門のすぐとなりに、なぜか鳥居だけが立ってる広場があります。どうして、鳥居だけ立っているのか不思議に思っていたのですが、『なかま』を読むことで、その謎が解けました↓
厳島神社は、むかし弁財天と呼ばれていましたが、弁財天が祀られる社がある当時は、おそらく↑上の石鳥居のすぐ近くに社が建てられていたのでしょう。
堀川をつくるために、人の手で地面を掘削し川をつくる際、ちょうどその場所に弁財天の社があったと考えられます。そのため社か、鳥居かを移動させる必要があったのでしょう。現在は厳島神社の社と、鳥居との間には、こんなに広い川が流れています↓
↑この写真は県道73号線上から撮ったものです。写真の奥に見える木造の建物が「中間唐戸水門」で、茶色に濁っている川が堀川と黒川が合流する場所、写真の左側に石鳥居があり、写真の右側に厳島神社があります。
中間の厳島神社に祀られる石塔が、庚申塔であるか否か長い間、気になっていました。今回の訪問で庚申塔であることがわかりスッキリとしました。また、広場にポツンとある鳥居の謎も解け、これもまたスッキリとしました。