2019年4月20日に、大分県中津市の三光(さんこう)という地区にある長谷寺へいってきました。毎年、4月20日に御開帳される銅造観音菩薩立像を拝観するために行ったのですが、長谷寺に到着したときには、もう御開帳は終了していました。
残念だったのですが、長谷寺へ向かう途中で、庚申塔を数基みつけることができました。今回ご紹介するのが、こちらの猿田彦大神を主尊とする庚申塔です↓
場所:大分県中津市三光西秣
大久山 長谷寺は、八面山から北東へとのびる谷の、一番おくまった場所に立てられているお寺です。その長谷寺へといく途中の路傍に↓下のようなお堂をみることができます。
「不動堂」と表示された小さな看板が、お堂の前に立てられており、看板には併せて「不動明王」「庚申塔(猿田彦 像)」と表示されています。
お堂のなかには看板どおり、庚申塔(左)と、石板に浮き彫りされた不動明王が祀られています。不動明王は一見、石祠のなかに祀られているようですが、石祠の横壁と後壁と不動明王とが、ひとつの石から彫られていることが確認できます。
庚申塔へと目を向けます↓ 髪を逆立てた猿田彦大神は体の前で両手で杖を把持し、その杖を地面についています。
猿田彦大神の頭の上には月日雲が刻まれています。月日の一方には、赤い着色がされていたようで、塗料がわずかに残っています。
猿田彦大神の足元には、二体のなんらかの像が刻まれていますが、像容ははっきりとしません。塔に向かって右側の像は、両手を目にあてた「見ざる(猿)」のように見えます↓
↑塔に向かって左側の像は、さらに風化が進み、なにが刻まれているのかはっきり確認できません。しかし「一猿一鶏」の刻まれている庚申塔が、他例にあることから、鶏が横向で刻まれていると考えられます。
庚申塔に向かって右側面に「寶暦七丁丑」と刻まれています。寶暦(ほうれき)7年は西暦1757年で、干支(えと)が「丁丑(ひのとうし)」です。
庚申塔に向かって左側面には「十月吉祥」と刻まれます。
大分県中津市の庚申塔は、猿田彦大神の文字塔が多い傾向にあるなか、珍しく猿田彦大神の像が刻まれる庚申塔に出会うことができました。