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福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

1945年に大事故があった二又トンネル 福岡県添田町落合

福岡県北九州市小倉南区の城野駅から、大分県日田市の夜明駅までのびている「日田彦山線」。この日田彦山線の一部区間で、死者147人にもなる大惨事があったといいます(参照:二又トンネル爆発事故 - Wikipedia)。その場所が、現在の彦山駅と筑前岩屋駅との間にあったという、二又トンネルです。

 

場所:福岡県田川郡添田町落合

座標値:33.496356,130.869810

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爆発で二又トンネルがあった山は吹きとんだ その跡は鉄道が敷かれている

トンネルといっても、終戦の年である1945年(昭和20年)では、鉄道は通っていませんでした。彦山駅と、筑前岩屋駅とのあいだには3つのトンネルを掘る予定であり、そのうちの2つのトンネル(二又トンネル、吉木トンネル)は完成していました。

 

この2つのトンネルは、隣り合っていました。まだ鉄道の通っていないトンネルは、終戦当時、火薬庫として使用されていました。日本が1945年敗戦すると、二又トンネルと、吉木トンネルに保管されていた火薬は、アメリカ軍により廃棄(焼却)されることとなりました。 その廃棄方法については二又トンネル爆発事故 - Wikipediaに、とても詳しく解説されています。

 

吉木トンネルのほうは、火薬をいれた木箱の間にすき間が比較的たくさんあったのですが、二又トンネルのほうは、びっしりと木箱が積まれていたために、いっぺんに火が火薬へと燃え移り、爆発したと考えられています。

 

二又トンネルで発生した爆発のすさまじさは、ウィキペディアに掲載されているものがわかりやすいために、そのまま抜粋します。

 

連合軍兵士一行が引き揚げてから約1時間後の16時30分ごろ、火薬を燃やす炎は火炎放射器のようになってトンネルから噴出し、トンネル口から100メートル以上も離れた川の対岸にあった民家にまでも延焼した。火はさらに次々と燃え広がり多くの住民が消火活動にあたったが、炎の勢いはおさまるどころか激しさを増し、ついに17時20分(公式記録、地元では17時15分としている)、火薬が大爆発を起こして山全体が吹き飛び、彼らは落ちてきた土砂の下に埋もれてしまった。二又トンネル爆発事故 - Wikipedia

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爆発前の山容 想像図

二又トンネルがあった山(通称 丸山)のすぐ前には、彦山川と深倉川が合流しています。比較的川幅の広い2つの川に、山は囲まれているにもかかわらず、死者が147人にもなったそうで、その爆発のすさまじさは今ではなかなか想像することができません。

 

実際、その現場を目撃したかたの話によると、火薬の爆音は、60㎞も離れた大分県の別府にまで達したといいます(参照:『九州の鉄道おもしろ史』P429)。

 

上の写真(想像図)の、二又トンネル前には、現在は鉄道がつづいています。上の写真からはよく見えませんが、鉄道は一部、橋となっています↓ 写真は下からみあげたものです。撮影ポイントは(33.497107,130.869925)です。こんなに巨大な橋が架かるほど、川幅が広いのです。

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彦山川に架かる鉄道の橋

 ↓こちらは、別の角度から見た鉄道の橋です。橋の手前に見える川は、深倉川です。撮影ポイントは(33.497426,130.869439)です。

 

二又トンネルから、北側へ420mほどの場所に彦山駅がありました。2019年5月現在、日田彦山線は、2017年7月の九州北部豪雨による災害で、添田駅から日田駅間は不通となっています。電車のこない彦山駅はひっそりとしていました。