最近は、九州の鉄道おもしろ史という書籍に紹介されている土地へいくことが多くなりました。書籍には「鉄道おもしろ史」というタイトルが含まれているだけあって、駅に関わる記事も多く掲載されています。わたしも駅へ行く機会が増えました。
現在、わたしが住んでいる福岡県北九州市は、九州のなかでは、比較的おおきな街ではあるものの、車なしでは移動にとても不便を感じます。車を所持していれば、自然と移動は車中心の生活となり、電車にのることはほとんどありません。
そのために、今回ご紹介する「筑前山手駅」も、わたしは初めて訪れる駅です。九州の鉄道おもしろ史P407-409で、筑前山手駅は”ホームまでの階段数が九州で一番多い筑前山手駅”と紹介されており、それがどれほどのものなのか、実際に見てみたいと思いました。
筑前山手駅の外観
筑前山手駅は「山手」という文字が含まれていることから、山の斜面に建てられている駅だと想像していました。しかし、↑上の写真のように、駅は想像とはまったく違うものでした。なんの装飾もないコンクリート製の外観は無骨な印象を受けます。
場所:福岡県糟屋郡篠栗町篠栗
座標値:33.622152,130.557256
↑この写真は駅の裏側から撮ったものです。手前の高架下にあるちいさな建物はトイレです。トイレは、とても清潔でトイレットペーパーもちゃんと設置されていました。
筑前山手駅は、JR九州 篠栗線(福北ゆたか線)のひとつの駅で、嘉麻市と福岡市とのほぼ中間地点に建てられています。
地上から筑前山手駅ホームまでの道のり
筑前山手駅の階段数は、『九州の鉄道おもしろ史』P407に、詳しく紹介されています。それによると、この駅のホームは平地から14.5mの高架の上にあり、そのホームまでは…
25段(平地から、券売機のある1階ホール)
16段(券売機1階ホールから、2階)
18段(2階から3階)
18段(3階から4階)
18段(4階から最上階の5階)
…の合計95段のぼる必要があると書かれています。こちらは「平地から、券売機のある1階ホール」までの階段です↓
この階段をのぼりきると、広いホールがあり、その奥に券売機が設置されていました。このホール…もしかしたら、昔は売店かなにかがあったのかもしれません。ホールの左奥の一区画に、建物があったような跡が残っていました。
↓こちらの写真は、たしか、建物の3階部分を写したものと思います。この駅の特徴的な点は、駅通路に、たくさんの絵が飾られていることです。コンクリートむきだしの駅舎を、これらの絵がいろどってくれています。
駅舎内をよくよくみてみると、灯りとなる照明器具が、各階に蛍光灯1個程度しかなく、夜になると、とても暗く寂しい駅舎となるのだな…と想像されます。これらの絵は、そんな殺風景で寂しい駅舎に、温かさを添えてくれていました。
階段を5階までのぼりきると、すぐ改札機が設置されており、そのすぐ向こう側にはホームがありました。5階まで登りきり、5分ほど周囲の景色をパシャパシャと撮っていると、電車が到着しました。しかし、「当然」といえば失礼となりますが、この駅に降りてくるかたはおられませんでした。
5階はベンチがひとつだけ設置された、小さな待合室となっていました。
どうして、こんなに階段数の多い駅舎となったのか?
あらためて筑前山手駅の外観をみてみます↓ 高架に鉄道が敷かれており、その高架に合わせて駅舎が建てられたようにみえます。鉄道が先につくられ、そのあとで駅舎が建てられたのでは?
その想像ははずれてはおらず、篠栗線を建設する際、桂川-篠栗間の区間では、もともと筑前山手駅は建設予定には組み込まれていませんでした。建設予定の駅は、城戸(きど)駅と大分(だいぶ)駅だけでした。
城戸と大分の駅の位置がきまってから、地元から筑前山手と九郎原の駅もつくってほしいという要望がでました。
この篠栗線沿いには国道201号線がはしっています。国道自体も山間の平地を縫うようにはしっており、鉄道をあらたにつくるには山のふもとしか土地が余っていませんでした。山のふもとに鉄道を敷くには、トンネルと高架橋をうまく駆使しなければなりません。
城戸と大分の駅は、これらトンネルと高架橋を避けた場所(平地)に建設されることが決まっていました。しかし、筑前山手と九郎原は?
なんとか九郎原のほうは、平地に駅をつくることができたのですが、筑前山手駅のほうは条件があわず、高架橋部分に駅をつくらざるをえなかったのです(参照:九州の鉄道おもしろ史P407-408)。
筑前山手駅から福岡市側を眺めると、すぐトンネルがあり、エピソード通り山のふもとに鉄道が敷かれていることが実感として受け止められます。