場所:福岡県宮若市三ケ畑 「大阪神社」
座標値:33.6685518,130.6064021
福岡県宮若市の中畑という地区へ庚申塔をさがしにいったとき、庚申塔のありそうな場所の候補として、地形図で神社をさがしていました。↓下に地形図を示します。黄色い道路が福岡県道450号線です。県道450号線から140mほど山のなかに入った場所に神社マークがみえます。
実際、この場所へいったところ参道入口ふきんに「ここが神社」であるという案内看板がたっており、まよわず参道へはいることができました。地形図をご覧いただく等高線の幅が密になっており、急斜面でることがわかります。参道入口から神社境内とおもわれる場所までは直線距離で130mほどですが、65mほどの高さを登っていくことになります。
参道は石ブロックで、ところどころ階段がつくられています。それ以外の場所は踏み跡を頼りに登っていくことになります。地面はやわらかく、気をぬくとズリズリとすべって前のめりにこけてしまいます。10分弱、このような参道をのぼっていくと、木製の祠がみえてきます↓
木製の祠を過ぎ、さらに上へ歩を進めると尾根にたどりつきます↓ 険しい参道をのぼりつめた先にある神社です。拝殿や本殿などはみられません。自然のなかにつくられた神社です。
社のないこの神社は大阪神社と呼ばれているようです(案内板参照)。案内板を参照して境内に祀られる石の神様配置図をつくってみると以下のようになります↓
ふたつあるお堂のうち、右側のお堂が大阪神社で、”勝負の神様”が祀られているそうです。大阪神社の他に、この境内には…
・稲の神様↓
・地の神様↓
・かまどの神様↓
…が祀られています。ふたつあるお堂のうち、左側のお堂は護国神社(農作物の神様)が祀られています。宮若市三ヶ畑は山間部で農業をしている地区のようなので、稲の神様やかまどの神様などが祀られるのは自然な印象を受けます。
一方で、”勝負の神様”が祀られているのはなぜなのでしょう?案内板には詳しいことは記されていませんが、「大阪神社 三浦佐源次清秀 勝負の神様」…とキーワードが記されています。
↑「三浦佐源次清秀」を祀る石塔。勝負の神様。
このキーワードでググってみても、目ぼしい情報はでてきません。そもそも「三浦佐源次清秀」はどういうふうに読むのでしょう。「三浦佐源 次清秀」と区切るのでしょうか?佐源は「さげん」と読むようです(参照:佐源 | 人名漢字辞典 - 読み方検索)
ということは「三浦佐源」は「みうらさげん」と読むのでしょう。「次清秀」の「次」という文字の意味を調べてみると、「あるものに続く地位」という意味があります。憶測ですが、「次」というのは家来、あるいは兄弟の弟を表す文字なのではないでしょうか?
このように推測すると、大阪神社は「三浦佐源(みうらさげん)」「三浦清秀(みうらきよひで)」というかたがたを神様として祀っていると考えました。この二人の三浦氏については、詳細な情報を得ることができませんが、わざわざこの地に祀られる”勝負の神様”というからには、三ヶ畑を出身とする強い武将だったのかもしれません。
↓三浦氏が祀られる同じお堂に祀られる大師様