座標値:33.8685863,130.582304
福岡県北九州市の隣にある遠賀郡。この遠賀郡に岡垣(おかがき)という地区があります。この岡垣において、「ぜひ訪れてみたい」と思う場所を見つけることができず、この地区に足を運ぶ機会はあまりありません。
しかし、地元である福岡県であるにもかかわらず、この地区のことを知らないまま過ごすのはもったいないと感じ、岡垣町の歴史に関する資料を探すべく、資料館へ足を運ぶことにしました。
Google mapで「歴史民俗資料館」というキーワードで検索すると、岡垣町の海老津(えびつ)という場所に、「岡垣町地域交流センター」という場所を見つけることができます。
この岡垣町地域交流センターで販売している郷土史料を手に入れることができました。『ふるさと岡垣の歴史と文化(岡垣町・岡垣町教育委員会・岡垣歴史文化研究会共同編集)』という厚い冊子で、2000円で販売されていました。
その中に、今回訪れた「手野薬師堂 木造薬師如来坐像」が紹介されていました(P.84、P335)。岡垣町の手野と呼ばれる集落の東端に薬師堂があり、その中に薬師如来坐像は祀られていました。
薬師堂の前にある広場には、たくさんのクモの巣がかかっており、棒でクモの巣をかき分けながらお堂まで進む必要がありました。お堂の付近には人家があるのですが、長い間、訪れる人がいないような印象を受けました。
薬師如来像は、奈良県の薬師寺にある薬師三尊で知られるように、本尊である薬師如来像の左脇侍(わきじ)に日光菩薩、右脇侍に月光菩薩がおられる三尊形式で祀られることもあります。
岡垣町の手野にある薬師如来像には日光・月光菩薩は両脇に控えていません。そのかわりに見えるのが、十二神将造(じゅうにしんしょうぞう)です。
堂内は暗いために、はっきりとは確認することができませんでしたが、上の写真…十二神将像のうちの二体が見えますが、その後ろにも数体の像影が見えるようです。
反対側の十二神将像は数体がはっきりと確認できました↑
本尊である薬師如来坐像は『ふるさと岡垣の歴史と文化』(P.335)では以下のように紹介されています。
サイズ
像高 90.8㎝
頭高 28.0㎝
膝奥 49.0㎝
腹厚 28.0㎝
膝幅 72.0㎝
年代 平安時代(十一世紀中頃)
今の彩色の頭部螺髪に群青(ぐんじょう)、肉身に金泥(きんでい)、衲衣に茶漆(しゃしつ)が施されたのは近代の修復時のものと思われる。
手野の薬師如来坐像は、体幹の部分と、下半身の部分との継ぎ目が円弧を成しているのが特徴のようで、古い形式を残しているそうです(P.84)。その特徴から九州の平安仏に分類され、制作年代が平安時代と予想されています。
薬師如来坐像の周りに祀られている十二神将造や天部像は、後の時代に加えられたようで、これらの像は室町時代(1336年~1573年)に造られたと考えられています。
岡垣町には、もう一体、平安時代に造られた仏像があるようです。岡垣町 黒山の阿弥陀堂に祀られる「木造如来坐像」です。これが祀られる場所は詳細に記されていないために、じっくり徒歩で探す必要がありそうです。