「宗像遺産 文化遺産編」という宗像市が発行している書籍を眺めていると、「用山の阿弥陀如来坐像」という項目がありました。こちらはいつでも見学可能で、写真撮影も可能とのことで、さっそく行ってみることにしました。
場所:福岡県宗像市用山145 用山観音堂
地図:Google マップ
「用山阿弥陀堂」という緑色の案内看板があり、小道がお堂まで続いています。車が一台やっと通れる道です。
この先、お堂の横に原っぱがあり、そこに車を停めることができますが、そこまでの行程が狭い道なので、案内看板近くの路傍に車を停めさせてもらいました。小さな集落ですが、案内看板近くの路傍は車が十分離合できるほどの幅があります。
用山観音堂は、このような感じの小さなお堂でした。宗像四国西部霊場の7番目となっているようです。
阿弥陀様が納められている拝殿には格子戸がかけられているので、格子のすき間から写真を撮らせていただきました。
「宗像遺産 文化遺産編」によると、以下のように紹介されています。
宗像郡河西郷の用山村の人たちが、天下泰平、国土安穏、村々の諸災削除、福寿増長などを祈って、無量寿(阿弥陀如来)を再興した
だいたい、どのくらい前に用山の村の人たちが、この仏像を共同で作ったのか気になるところです。そこで、お堂のすぐそばにある案内看板を読んでみました。
はっきりと造られた年は記されていませんが、様式からだいたい11世紀くらいのものだと推測されています。だとしたら、だいたい900年くらいの歴史がある仏像だということです。
図解 文化財の見方―歴史散歩の手引の阿弥陀如来を紹介するページを見てみると、如来像の頭部には、だいたい肉髻(にっけい)と螺髪(らはつ)というものが刻まれるそうです。
用山の阿弥陀様では、螺髪(らはつ)は省略されているようです。また、白毫(びゃくごう)と呼ばれる、額の白い毛は昔書き込まれていかたもしれないが、現在では確認することができない、と看板には説明されていました。
手のほうは、図解 文化財の見方―歴史散歩の手引の表で確認してみると…
↑一番左下の「来迎印(らいごういん)の上品下生(じょうぼんげしょう)」を結んでいるようですね。人が亡くなったとき、阿弥陀の助けで極楽浄土に迎えられることを願った手の結びかたなんだそうです。
↓足のほうは、左足の上に右足をのせた吉祥坐(きちじょうざ)。これは釈迦が悟りを開いて仏陀になったあと坐り方なのだそうです。
全体はずいぶん長い年月で傷んでいるようですが、身近で木造仏を拝観できる場所としてはいい場所でした。