昔の史料を元に、史跡を探訪していますが、史跡を見つけられず帰ってくることがたびたびあります。史料が古く土地開発が進んでいるためか、ぼくが単に探し切れていたいためか、その史跡があると思われる場所にいっても、空振りに終わることが多いです。
「平川の地蔵」も、そんな史跡のひとつ。今回は見つけられませんでした。「北九州の史跡探訪」(北九州史跡同好会)によると、「平川の地蔵」はこんな云われが残っています。
享保大飢饉の時、小竹村のお菊、千代松の姉弟は山鹿で御救い米が開かれると聞き、二人携えて二里の山路を越そうとしたが、ここで力尽きて倒れ餓死。後の人が憐れんで供養した。
示される地図のあたりに行ってみました。地図でピンポイントで示すと次のようになります。
地図:Google Maps
↓写真のようなゴミステーションがある隣の土地に、古い墓地がありました。お地蔵さまが祀られている場所らしいところは、この場所だと目ぼしをつけて、行ってみることにしました。
古い墓石がたくさん林立しており、そのなかにお地蔵さまが見えます。でも、史料に載っているようなフォルムのお地蔵さまは見当たりません↓
さらに奥のお堂にも、何体か祀られているようです。そちらにも行ってみました↓
しかし、こちらにも「平川の地蔵」と思しき、お地蔵さまは見当たりませんでした。平川の地蔵は、右手に杖のようなものを携えているのですが…みつかりませんでした。
それにしても、ここは「島郷四国48番札所」で、いつか周ってみたい「島郷四国八十八ヶ所霊場」のひとつで、思わずの収穫でした。48番札所の本尊は、十一面観音菩薩のようです。
他のサイトを拝見させていただくと、平川の地蔵が写真におさめられているので、必ずこの付近に祀られていると思われます。日を改めて探してみたいと思います。