『北九州の史跡探訪』(北九州史跡同好会)P.81に「紫池」という池が掲載されています。この池は、小倉の街をながれる紫川の起こりと紹介されています。”起こり”というのはどういうことなのでしょう。同書には地形図がしめされ、「大興善寺」ふきんに紫池があることがわかります。
紫川は、紫池があると示されている地点より、さらに上流部があるため、”源流”と解釈するには無理がありそうです。民間の伝承などで、”紫川が生じた場所”として伝わっているのかもしれません。
豊前志などの古書に、大興善寺の門外に「池ありて紫池と名づく。前に虹橋あり、島に弁財天を祭る」と。この池が紫川の起りと伝えられる。古代は、大湖、今は次第に涸れて小さい池である。『北九州の史跡探訪』(北九州史跡同好会)P.81
しかし、大興善寺ふきんを、実際にさがしてみても、紫池らしき池はありません。『今昔マップ』で大正14年の地図をみても、池らしいものはありません。
大興善寺の境内に、コイが泳ぐちいさな池があり、「これか!」とも思いましたが、『北九州の史跡探訪』に掲載されている写真とは、どうも違うように感じます。
場所:福岡県北九州市小倉南区蒲生
座標値:33.847240,130.864932
↓こちらが『北九州の史跡探訪』に掲載されている「紫池」です。
2021年現在では、もう、この紫池は消滅したのかもしれません。
『北九州の史跡探訪』で、紫池がしめされる場所の山側には「観音寺」というのがあります。
この観音寺。実際にいってみると「馬頭観音寺」という看板がかかげられたお堂があります。
さらに、このお堂の山側に、祠がたてられた涸れ沢があります。
もしかしたら、この涸れ沢の下流域に、水が溜まる場所があり、そこが紫池となっていたのかもしれません。