大分県の国東半島にある寺院では、宝篋印塔(ほうきょういんとう)をたびたび見かけていましたが、福岡県ではこれがはじめての対面です。google mapを眺めていると、たまたま「宝篋印塔」という文字を見つけたので、ちょっと立ち寄ってみました。
こんなに立派な宝篋印塔が、こんなに良好な状態で残っているんですね。宝篋印塔は、お経を内部におさめている塔のことで、今でいう塔婆(とうば)のような役割を持っている石造りの塔のようですね。塔婆は、古いお墓に立っている木製の板です。
つまり、この宝篋印塔は亡くなったひとを供養する目的で立てられたようです。では、だれを?
案内の看板を見てみると、1797年…つまり今から220年前、福岡県遠賀郡芦屋町の山鹿という地区で、大火事があったそうで、そのときに亡くなった人たちを、豪潮(ごうちょう)というお坊さまが供養したようです。
地図:Google Maps
google mapには「海雲寺の宝篋印塔」と表示されていますが、すぐそばにあるお寺の名前は安養寺。なにか理由があるのかなと思っていると、「海雲寺跡[天台宗][福岡県遠賀郡芦屋町中ノ浜5-16]-お寺めぐりの友)」のサイトに海雲寺の跡地に、その名残の宝篋印塔が残っている…と書かれていました。この広い敷地は昔のお寺の境内だったんですね。