「神功皇后伝承を歩く 上」 (綾杉るな著)を読んでいたら、古物神社(ふるものじんじゃ)というなんとも珍しい名前の神社が紹介されていました。神功皇后の伝承についてはぼくには難しくてなかなか全体を理解できていませんが、神社の立地場所とか神社境内の雰囲気が好きな場所から神社巡りをしています。
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)と神功皇后(じんぐうこうごう)が朝鮮半島を占領下におくため戦争をしに行くとき、ここ古物神社の場所に、仮の御殿をたてたのだそうです。
現在地から古物神社:Google マップ
遠賀郡から鞍手郡方向へ、県道55号線を南下していくと、鞍手高校が左手にみえてきます。鞍手高校のすぐ近くに古物神社はあります。高校の西側500mくらいのところかな。
↓この写真の右側の方に古物神社参道がのびています。こういうのどかな場所にある神社が個人的には好きです。人がほとんどいなくてゆっくり境内を見られるので。
この神社は、もともと西山八幡宮と呼ばれていて、明治4年に村の旧号をとって古物神社と改名されたそうですよ。
その経緯を要点だけ書くと…
・1828年8月に暴風雨があった
・剣岳に鎮座していた剣神社が倒壊
・剣神社が西山八幡宮と合祀
・村名をとって古物神社となった
綾杉るな氏はブログひもろぎ逍遥も書かれており、こちらも拝見すると、古物神社のことがさらに詳しく説明されています。
古物神社のように、いくつかの神社が合祀(ごうし)すると、いくつかの神様が祀られることになるのですね。
実際、古物神社には、天照大御神、日本武尊、仲哀天皇、スサノオの命、神功皇后、ミヤズ姫神、応神天皇、布留御魂神…とたくさんの祭神がおられますね。参照:ひもろぎ逍遥
ずいぶん古い感じのする神社ですが、荒れているわけではなさそう。境内には花もかざられてて、いまでも綺麗に管理しているかたがおられるようですね。
参道をあるいていると、階段の手前、右側に石塔がいくつかたっていました。この雰囲気は庚申塔か?と思ってみてみると、やっぱり庚申塔でした。やった、また偶然にも庚申塔を見つけることができました。
どうも、二基の庚申塔が祀られてるようですね。ひとつが、こちら↓
猿田彦大神と刻まれてて、八月吉日という日付も確認できます。
↓もうひとつは、謹請庚申尊天と刻まれます。「謹請」ってどう読むんだろう?どんな意味があるんだろうと思って調べてみると…読みかたは「きんぜい」で、神様の名前の前につけられる用語のようです。
神様を祭るときに読む祭文(さいもん)と呼ばれる文章がありますが、この祭文が書かれるとき「謹請 神様の名前」の順番で文章のあたまが書かれ始めるそうです。参照:
祭文について ( 小説 ) - 紫微垣 - Yahoo!ブログ
↓庚申塔の横には水神と刻まれた四角い石もあります。
↓本殿
↓本殿横の祠群
↑こちらは、丸い石や楕円形の石が積み重ねられていますが、横の立札に興玉神(おきたまのかみ)と書かれています。興味深いことに、この興玉神というのは、庚申塔でよく祀られる神様である猿田彦大神の別名なんだそうです。
『神名秘書』によれば、猿田彦大神またはその子孫である大田命の別名であるという。参照:興玉神 - Wikipedia
時間の空いたときに、ぼちぼちと本を読んだり、神社を巡ったりしているだけなので、体系立てて庚申塔や神社の祭神や、福岡の歴史を理解できているわけではありませんが、ひとつひとつ知らないパズルピースをみつけていくことが、いまできることかな。そんな地道な作業もなかなか楽しい。