学生のころ歴史はめっぽう苦手でした。暗記ものの教科というイメージで、おもしろい印象はなかったのです。でも社会人になって、世の中で起きてる出来事を体系的にとらえられるようになってきて、最低日本の歴史ぐらい知っとかないとなぁと思い始めてきました。特に史跡めぐりをしはじめてからは、その思いは強くなって、自分の無知さにいやになることも…。
世界遺産に登録された三池炭鉱(みいけたんこう)にいってみました。2016年12月24日のことです。ほんと行ってよかったです。三池炭鉱といってもたくさんの施設があります。いくつかの関連施設に行ったのですが、そのなかの宮原坑(みやのはらこう)を、今回はご紹介します。
施設内はボランティアガイドのかたに丁寧に説明をしていただいて周りました。写真もいっぱい撮らせてもらいました。これだけ密な時間を過ごせたのに、入場料もツアー料も、すべて無料。なんてすごい。ひとりでじっくりと周りたい見学者は、説明音声が流れるタブレットとか、スマホを希望に応じて、無料で貸してくれるそうですよ。
はじめは「ちょっと世界遺産ってどんなものなの?ちょっといってみたい」という軽い気持ちでした。大牟田市のいろんな施設をまわってみると、期待以上の楽しい一日でしたよ。炭坑の歴史…いや大牟田の歴史って深いですね。
”三池炭鉱”は、たくさんある資産の総称
三池炭鉱って、石炭を掘るひとつの穴を指すものだと勝手に思っていましたが、違うみたい。↓下の図のように、三池炭鉱に関する建物や坑口(こうぐち;石炭を掘る穴へのいりぐち)、そして機械などを総称して三池炭鉱 関連資産と呼んでいるそうです。
今回は、この宮原坑跡の見学にいってみました。
宮原坑跡の場所:福岡県大牟田市宮原町1丁目 宮原町1丁目 86−3
現在地から宮原坑跡:Google マップ
宮原坑跡を見学するときのキーワードはこの三つでした。
地下水をくみ上げるのがメインだった宮原坑
七浦坑や宮浦坑のふたつの炭坑付近を掘削していたとき、問題になったのが大量の地下水なんだそうです。石炭1トンに対して、地下水が11トンも湧いてきて、それは大変でした。
この地下水をくみ上げるのを主な目的として、宮原坑が掘られました。宮原坑跡にきたときに一番はじめに目につくのが、この↓おおきな鉄塔。これは第二竪坑櫓(たてこうやぐら)と呼ばれるものです。
この櫓の下にレンガ造りの建物がありますね。レンガ造りの建物の下部にアーチ型の窓がついています。
アーチ型の窓をのぞくと…
↓こんな感じの部屋になってます。今はコンクリートで埋められてますが、コンクリートの下には竪坑(たてこう)…つまり穴が156.9mも掘られているそうです。この竪坑から地下水をポンプでくみ上げていたそうです。水はパイプを伝って、アーチ型の窓から外へ排出されました。
外へ排出された地下水は、↓この排水溝へ流されました。
ちなみにこのレンガの壁のこちらがわ(手前)には、昔は大きな建物がちゃんと建っていて、室内になってたそうです。レンガの積み方はちょっと変わっていて、横向に積まれたものと、縦向に積まれたものが混じってますね。こうすることで、より強固に壁をしていました。
鋼鉄製だからいまも健在 竪坑櫓(たてこうやぐら)
二つ目のキーワードである日本最古。これは、1901年に完成した第二竪坑櫓が、現存する日本最古のものということです。今から115年も前に建てられたものなのに、新品みたいですね。
櫓の高さは約22m。櫓の上に滑車がつけられてます。櫓は、捲揚機(まきあげき)から伸びるワイヤー(鋼索)を巻き上げたり、さげたりされるのを支えていました。
↑これがワイヤー。
↓これが捲揚機。形がいびつですね。真ん中が膨らんでて、左右がへこんでます。これは左右でそれぞれ違う向きに回転するからなんだそうです。
↓今は、支柱と車輪の間に木製の歯止めがつけられてます。車輪が動かないようにする、車のサイドブレーキのようなものです。
ワイヤーで何を巻き上げたりしてたかというと、作業員や馬、そして地下水、石炭などです。
第二捲揚室の外にある、この小さな箱のようなものに作業員は乗って、穴へ降りていったんですね。
これに馬も乗って降りてたそうです。
↓ 箱の上には支柱が一本走ってて、これに人はつかまって揺れに耐えてました。
できるだけ横揺れが激しくならないように、箱の四隅に木製の支柱が立てられて補強されてます。一度箱が揺れてしまうと、その揺れが治まるまで昇降は待っていないといけなかったそうです。
捲揚機を操縦するスイッチ↓ボランティアガイドのかたの傍に棒がありますが、これを手前に引いたり、押したりすることで捲揚機をON、OFFします。
↓操作するときの心得が書かれた看板。左側に暗号表のようなものがありますが、これはモールス信号の一覧。竪坑の下にいる人と緊急の連絡をとるときに使われていたそうです。
↓連絡はこの黒電話でもとっていたそうです。
↓捲揚機のブレーカーのようなもの。これも捲揚機室の一角に設置されていました。
劣悪な環境でたくさん人や馬が亡くなった
もうひとつ、三つ目のキーワードである囚人ですが、宮原坑は特に環境が劣悪な炭坑だったために、作業員を募集しても人手が集まらなかったそうです。そのため、労働に従事させられたのが、三池集治監(みいけしゅうちかん)という監獄に収容されていた人たちです。
三池集治監に収容されていた人たちは、凶悪な犯罪者が多かったそうですが、その人たちでさえ、宮原坑を”修羅坑”と呼ぶほど、辛い労働場でした。換気が悪く、石炭の粉塵が舞い、気温32℃の薄暗い炭坑のなかで1日12時間働いていたそうです。そのため体調を崩したり、事故で亡くなった人がたくさんいたそうです。
↓ちなみにこちらは従業員の控室。櫓のすぐ隣にあります。
↓炭で汚れた身体をここの洗い場で洗ったり、控室で弁当を食べるなどしてくつろいだんでしょう。
↓部屋の中央にストーブ。
従業員控室の隣は倉庫みたいになってて、ここに坑道に据え付けられてたランプが置かれてました。
↓当時つかわれてたサンダー。
↓捲揚場(まきあげば)横にあるトロッコ
まとめ
①大量の地下水をくみ上げて排水することがメインの竪坑
②現存する日本で最古の竪坑櫓
③囚人を労働力としていた
宮原坑を見学するときのポイントはこの三つだと、ボランティアガイドのかたに教えていただきました。ゆっくり見てまわりたかったので、宮原坑跡に入場して、はじめは解説を断っていました。だけど自分たちで坑内をまわっていても何もわからないので、引き返して解説をお願いすることにしました。はじめから解説をお願いすればよかったです。
ボランティアガイドのかたの解説はわかりやすくて、みなさんほんとにやさしく親切でした。何度も書きますが、これが無料ですからね。宮原坑跡に、はじめに行ってよかったと思います。
上の図は受付でいただいたパンフレットをもとに、三池炭鉱 関連資産をまとめてみたものです。宮原坑跡以外にも、まだこんなに関連資産があるそうです。いつくかを周ってみたので、ぼちぼちアップしていきたいと思います。