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福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

炭鉱で祀られていた複数の山神社が一カ所に集められた神社 福岡県宮若市磯光

昔、筑豊地方の炭鉱では、繁栄と安全が祈願され、必ず神社が建てられていました。その神社は「山ノ神」と呼ばれました。

 

炭鉱は閉山となり、それら「山ノ神」神社は、だんだんとなくなっていきました。しかし2022年現在でも残っている神社があります。そのひとつが「大之浦神社(おおのうらじんじゃ)」です。大之浦神社は、福岡県宮若市磯光にある天照神社境内に鎮座しているという情報を得たので、行ってみることにしました。

 

大之浦神社

場所:福岡県宮若市磯光

座標値:33.724211,130.685817

「山ノ神」神社の祭神は大山積神(おおやまづみのかみ)で、愛媛県大三島(おおみしま)町の宮浦という地区に鎮座する、大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)から勧請されたといわれています。

 

参照:『筑豊の近代化遺産』P.122

参照:PDF:炭坑の暮し : 福岡県嘉穂郡稲築町での聞き書き(香月靖晴著)』P.150 

 

炭鉱で、どうして「山の神」である大山積神が祀られたのでしょう?それは、石炭を積んだ船が北九州市の若松港から出港*1し、それが瀬戸内海を行き来していたためといわれています。下の地形図で、若松港と大山祇神社の位置を赤で示しています。若松港から積み出された石炭は、瀬戸内海を通って、関西・関東方面へと運ばれていたと思われます。その中継地点に、大山祇神社があります。

漆生炭鉱では、炭鉱が閉山するとき、御神体である石炭を大山祇神社へ返しに行ったそうです。愛媛県の今治市にある、この神社へ行くと石炭の歴史との関連を示す資料が残っているかもしれません。

 

山神社と炭鉱とは、このように関連が深いもので、神社はだいたい炭鉱を見渡せる小高い場所にありました。

 

大之浦神社の略歴

1969年(昭和43年):現在の位置に遷移

1971年(昭和45年):二礦の山神を合祀

1974年(昭和48年):三礦の山神を合祀

 

 

鳥居の扁額には「山神社」、鳥居そばの石碑↓には「大之浦神社」とあります。さらに石碑には「貝島炭礦株式会社 貝島弘人建立」とあります。

貝島弘人氏は1963年に貝島炭鉱の三代目の社長となったかたです。貝島炭鉱の一代目社長は、貝島太助氏。二代目社長は、貝島太市氏です。大之浦神社の奥には二代目社長の、貝島太市氏の銅像が建ってます。

 

大之浦神社の二の鳥居と、最奥部に鎮座する祠です。

 

大之浦神社、一の鳥居には「社長 貝島太市」「昭和十二年四月吉日建立」の銘が確認できます。昭和12年は1937年です。大之浦神社の略歴を見ると、1969年(昭和43年)に天照神社境内に遷移されたとありますので、この鳥居も、もともと大之浦神社でつかわれていた鳥居が、この場所へ持ってこられたものだと考えられます。

 

昔は、春秋例祭には貝島炭鉱関係者が参加していたそうですが、今はそれもなくなり、天照神社の氏子さんが、この大之浦神社の管理を行っているそうです。

*1:明治維新後、石炭は暖房用燃料、さらには製鉄原料として、より一層需要を増すようになった。藩による統制が終わり、民間の鉱山開発が許可されたのに続き明治5年には石炭は自由販売となり、若松の地には、石炭関連の業者が次々と設立され、明治8年には石炭問屋組合が生まれた。当時の石炭は「ひらた船」によって運ばれており、最終積出港は若松であった。参照