日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

国東半島でのなつかしい思い出 夷谷に庚申塔を探しに行った話

大分県の豊後高田市から福岡県に移り住んでから1か月半が経ちました。福岡県は福岡県でいい場所はたくさんあるのですが、自然の豊かさと濃い仏教文化といったら国東半島には敵わないなぁとつくづく感じます。

 

そんなことを考えていると、大分県に住んでいた日々を思い出し、懐かしいような寂しいような気持ちがふつふつと湧いてきました。

 

昔の写真を見直していると、まだブログにアップしていない写真があったので、ここでアップしてみたいと思います。福岡県に移る前に、最後の記念にと国東半島の庚申塔探しをしていたときの写真です。

国東半島のやや北西に位置する、豊後高田市香々地町の夷谷(えびすだに)。東夷・塔ノ本という地区にある庚申塔(こうしんとう)です。いままで探したなかで一番みつけるのに苦労した庚申塔でした。

 

苦労したというのは、庚申塔は目の前にあるのに、崖の下にあって、そこまでの道のりがわからなかったのです。地図でいうとこのあたり↓。焼尾公園という場所近くが目的地。県道653号線沿いに、庚申塔はあるのですぐに辿り着くと思っていました。だけど県道から庚申塔のある場所までは急な崖になってて、直で降りることはできませんでした。

場所:大分県豊後高田市夷

現在地から塔ノ本の庚申塔Google マップ

 

庚申塔のある県道653号線には、こんな古びたお堂が建っています↓。

このお堂がある場所からは、崖が行く手を阻んでいて、庚申塔まではいけません。お堂とはまったく逆側の農道に車を停めて、徒歩で庚申塔のところまで行くのがいちばんいいようです。

上の地図のようなルートで行った実際の写真が↓こちら。

橋をわたってすぐ右側方向へ、庚申塔のある林へ続く農道が伸びていました。

 

意外にも、この林のなかには庚申塔以外にも国東塔(くにさきとう)とか、五輪塔などの石造物が祀られていました。

↑この国東塔は「焼尾塔ノ本国東塔(やきおとうのもとくにさきとう)」と、そのまんまその地の名前がつけられたもので、誰のために造られたものなのかなど、詳しいことはわかりませんでした。

国東塔や庚申塔が祀られている場所は小高くて「下坊中」という集落や田畑が見通せる場所です。この集落の人たちが、村を守ってもらうための願いをこめて、これら石造物をつくったのかな…という想像がなんとなくできます。

国東塔を通り過ぎてさらに斜面を登っていくと目的の庚申塔が見えてきます。

 

↓なんとも珍しく、神道系の猿田彦大神と仏教系の青面金剛像がいっしょに祀られています。神仏習合発祥の地といわれる国東半島のおおらかな風土が垣間みれます。

↓青面金剛像のデータこのような感じです。

・総高が152㎝

・一面六臂(顔がひとつで腕が6本)

・背面に輪光を背負っている

・手は合掌が一組

・他の手は、三叉戟(さんさげき)・棒・蛇・羂索(けんさく)を持つ

・足元に猿が二匹うずくまっている

・足元に鶏が二羽向かい合って並ぶ

 右手にもつ三叉戟…つまり三又のホコにはヘビがからまっていて、グロテスクな感じがします。こういう石造物は福岡県にはなかなか見つけられないので、なんとも貴重です。

 

これら二基の庚申塔のさらに斜面をあがったところには、もうひとつ青面金剛像が刻まれた庚申塔があります。だからこの地には三基の庚申塔があることになります。

↓こちらはだいぶ表面が摩耗していて像がはっきりとしません。

 

総高が約140㎝と前述した庚申塔よりもやや小さめです。こちらの足元には三匹の猿が刻まれています。

 

 まとめ

大分県…特に国東半島には古くからの文化、それに関連する祭りや建造物、石造物などが形を残しています。国東半島を離れて、改めて国東半島の不思議な魅力が貴重なんだと認識しています。