日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

透明な海にひろがるサンゴの生態

沖縄のいきもの』P.38‐44の読書ノートです。サンゴの生態について紹介されています。

※クリックするとAmazonサイトが開きます

 

サンゴは海水が透明な場所で生息することができます。それはサンゴと共生している褐虫藻(かっちゅうそう)と呼ばれる植物プランクトンが光合成をするために日光が必要となるからです。日光を褐虫藻が吸収するためには、濁った海ではだめで、水の透明な海でなければなりません。いっぽう、「水が透明である」ということは、陸地から栄養豊富な土壌などが流れてきていないということであるため、栄養分が少ない海であるということになります。栄養分の少ない海ではあるものの、サンゴと共生する褐虫藻が光合成をして、栄養分をサンゴに分け与えてくれているため、サンゴは発達することができます。

サンゴ自体は、イソギンチャクやクラゲと同じ、腔腸動物(こうちょうどうぶつ)に分類されます。つまりサンゴは、イソギンチャクが集まって石の骨格をつくっているようなものです。腔腸動物であるサンゴ自体は、自分で栄養分をつくりだすことはできませんが、褐虫藻と共生することで、貧栄養の海でも生きつづけることができます。

 

逆に、褐虫藻がいなくなるとサンゴは生きていくことができません。海水の温度が高くなると褐虫藻は温度の低い海域へと逃げてゆくため、サンゴは「白化」してしまい、栄養分を取り入れることができず死んでしまいます。

 

海水の温度が高くなりすぎるとサンゴは死んでしまいますが、いっぽう、温度が低すぎてもサンゴは生きていけません。『沖縄のいきもの』P.39には、水温が18.5℃以下ではサンゴは生きていけないことが紹介されています。

 

サンゴ礁が発達するには、次の三つの条件が必要だということを、サンゴ礁の生き物の研究者である本川達雄(もとかわたつお)さんが本の中で示しています。

 

・水温が18.5度以下にならないこと

・水深が約40メートル未満の浅い海であること

・水が透明であること

 

 

サンゴが成長するためには「日光」と「適度な水温」が大切だということがわかります。

 

サンゴ礁は「裾礁(きょしょう)」→「堡礁(ほしょう)」→「環礁(かんしょう)」という順番で変化してゆきます。

 

島のまわりの浅い海にサンゴ礁が形成され、島のフチに沿ってできたものが裾礁です。島が徐々に小さくなっていくにつれ、サンゴ礁が上へ上へ積みあがるようにして発達していくと、島とサンゴ礁との間にひろい海水面ができあがります。これが堡礁です。さらに島が小さくなり、なくなってしまうとリング状のサンゴ礁だけがのこされます。これが環礁です。

 

沖縄でみられるサンゴ礁は、初期段階である裾礁です。

島から少し離れた沖にあるサンゴ礁は、沖縄ではリーフとか、ヒシ(干瀬)とか、ピーと呼ばれています。リーフと陸との間の波が穏やかな海域はイノーと呼ばれています。

 

 

イノーのなかには砂がたまっている場所があり、そこには海草(うみくさ)が生息しています。海藻(かいそう)とはちがいます。海草(うみくさ)は、一度地上へ進出した植物がふたたび海に生きていけるように進化したものです。根・茎・葉の区別がはっきりしない海藻(かいそう)とは異なり、海草(うみくさ)は根・茎・葉の区別ができ種子で繁殖する植物です。

 

 

海草は地面に根をはっているために波で流されにくく、葉で光合成により生成された栄養分を根にまでいきわたらせることができます。海藻は小石や貝などに付着して、生育しているために流されやすく、イノーの砂地では広範囲では生育することができません。そのためイノーの砂地では海草が勢力を広げています。

 

「site:」を使って"はてなブログ"内で自分の読みたい記事をさがす

【キーワード】site:hatenablog.com

 

…でGoogle検索にかけると、はてなブログサービス内だけの検索結果が表示され、重宝しています。例えば以下のような感じです▼

 

例)

沖縄の亀甲墓site:hatenablog.com

御嶽うたきsite:hatenablog.com

手書きノートを日常で活用するsite:hatenablog.com

 

さらに「パワースポット」など、あまり結果に表示したくない言葉を省きたいときは、半角のハイフン「‐」を除外キーワードの前につけます。どうも半角のハイフン「‐」じゃないといけないらしく、ほかの形の似た横棒「-」だと除外されないようです▼

 

例)

御嶽うたきsite:hatenablog.com -パワースポット

 

この方法で、だいぶ個人的に好みなブログ記事にたどりつくことができるようになりました。はてなブログ内で記事を書かれているかたがたは、「好き」を極めているかたたちが多い感じがします。そのようなかたがたの記事を拝読すると、「こんな考え方があったのか」と視野が広がります。

 

参照:Google検索セントラル.site:検索演算子

 

ネット全体でキーワード検索すると、いわゆる「いかがでしたかブログ」のようなサイトがよくひっかかってしまっていて困っていました。表示したくないなと思ったサイトは、そのつどBlockSiteというフリーソフトでブロックしていました。

 

検索演算子「site:」や除外検索「‐」をつかうことで、めざす記事をかなり絞りこむことができます。他にもNHKのニュースサイトや、音声配信Voicy(ボイシー)サイト内で検索したい場合にも使うことができます▼

 

例)

図書館を活用するsite:www3.nhk.or.jp

怪談site:voicy.jp

 

それぞれのサイト内での検索機能があまり期待できない場合、この検索演算子「site:」が活用できるように感じます。

佐良浜のカミと拝所『治癒と物語』 沖縄県宮古島市伊良部

『治癒と物語』に、沖縄県宮古島市の伊良部島にある御嶽(うたき)が紹介されています。場所は、伊良部(いらぶ) 佐良浜(さらはま)という地区です。

 

伊良部は以下の7つの行政区でできています。

 

①伊良部、②長浜、③佐和田、④国仲、⑤仲地、⑥前里添、⑦池間添

 

⑥前里添(まえさとそえ)、⑦池間添(いけまそえ)をあわせて、通称 佐良浜(さらはま)と呼びます。




佐良浜の人たちにとっての「カミ」が祀られている場所が拝所で、「ムイ」と呼ばれます。「ムイ」というのはいくつかの拝所のことを指すそうで…

 

・村の祭祀でツカサ(司)たちがまわって祭祀を行う拝所

・村落の一定年齢の女性たちが参加する祭祀であるユウクイのときに回る拝所

・各地のサト(里のこと?)の拝所

 

参照:『治癒と物語』P.59

 

ユウクイ(ユークイ)とは、島の豊饒を祈願する行事のことで、島に住む人たちのために、ツカサンマと呼ばれる女性たちがおこないます。ツカサンマというのは「司母」と書き、神女のことを指します。

 

琉球新報の2022年2月4日の記事で、ひさしぶりにツカサンマが選ばれたということが紹介されています。

 

【宮古島】宮古島市平良の池間島で島の神事をつかさどるツカサンマ(司母)が6年ぶりに誕生した。旧正月の1日、島のウハルズ御嶽で新旧ツカサンマによる引き継ぎニガイ(願い)と正月ニガイが執り行われた。ツカサンマらは厳かな雰囲気の中、新しいツカサンマの誕生を神に報告し、島の1年の平安や豊漁、豊作を願った。参照:https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1465698.html

 

 

 

ユークイは「世乞」と書くようです。ユークイの『ユ』とは世、豊年、豊饒、豊作、富を意味し、『クイ』とはクウで乞うという意味があります。

 

YouTubeでユウクイの様子が紹介されています。

参照:https://www.youtube.com/watch?v=cHh2ju8wUl8&ab_channel=2raloo

www.youtube.com

 

参照:コトバンク.ユークイ(世乞)

 

 

『治癒と物語』P.59‐60に、ユウクイでまわる拝所があげられています。たくさんの番号が記載されていますが、①‐⑧がユウクイでまわる拝所です。参照:『治癒と物語』P.61

 

 

①ウハルズウタキ(大王御嶽)
大主神社、ナナムイともいう。池間島からの分祀。



場所:沖縄県宮古島市伊良部

座標値:24.843958,125.211506

 

②ウイラニイ
ユウ(豊かさ、富)の女神。

 

③ナップアニイ
リューキューの女神。

 

④ウジャアキニイ
酒の神、陽気な神という。

 

⑤ナカマニイ(仲間御嶽)
ウブユーニー(大世根)の神。航海安全の神。

 

⑥ニカムラヒヤズ
安産の神。二ヵ村御嶽。

 

⑦アカマミー
赤豆の神。豆を豊かに実らせてもらうよう祈願する。

 


⑧タウチュー
本土から来た神。学問の神。遭難者を葬ったという。

 

 

参照:PDF.宮古島佐良浜の年中祭祀-祭祀と供物(試論)

参照:PDF.沖縄県多良間島における伝統的社会システムの実態と変容に関する総合的研究

参照:PDF.沖縄の祭祀とシャーマニズムについての覚書

沖縄南部に湧き水が豊富な理由

読書メモ.『沖縄のいきもの』P.35‐38

 

沖縄の海は、現在、サンゴ礁の発達したエメラルドブルーの海がイメージとしてあります。しかし、沖縄トラフがある以前は、海底に泥があつく堆積している濁った海がひろがっていたといいます。

 

大むかし、海底に泥がどうしてたまっていたのかというと、中国にある大きな川である揚子江*1や黄河などから大量の泥がながれこんできたためと考えられます。

 

この泥は粘土層として現在でも琉球列島の各所で確認することができます。この粘土層は「島尻層(しまじりそう)」と呼ばれています。

 

約200万年前以降に、地殻変動の影響で、琉球列島の北西に長さ約1000km、最大深度2000mになる海底の凹地(くぼち)ができました。これが沖縄トラフと呼ばれています。この凹地は、中国がある大陸側の地殻がのびて沈みこんでできたものだと考えられています。この沖縄トラフ…つまり凹地…に中国大陸からながれこんでくる泥がたまることとなりました。

 

沖縄トラフ↓

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1a/Okinawa_trough_topographic.png/450px-Okinawa_trough_topographic.png

画像リンク:沖縄トラフ - Wikipedia

参照:琉球大学HP.沖縄トラフの伸張・沈降の時期は200万年前以降

 

沖縄トラフがつくられた後の時代に、トラフよりも太平洋側の海…西側の海…ではサンゴ礁が発達しました。サンゴ礁はその後、琉球石灰岩となりました。

 

 

上の図をみると石灰岩の上に「マージ」といわれる赤土が堆積しています。これは琉球地域では「島尻マージ」と特によばれています。

 

参照:内閣府 沖縄総合事務局.沖縄の自然環境.土壌

 

この赤土は中国大陸から風で飛ばされてきた、7万~1万年前の風成塵(ふうせいじん)が起源と考えられています。7万~1万年前の氷河期の時代、ユーラシア大陸の大陸棚が海から顔をだしていたため、この広い大陸棚の大量の塵(ちり)が琉球列島地域にふりつもったと考えられています。

参照:PDF 南西諸島に分布する国頭マージ,島尻マージおよびジャーガルの生成・分類について

参照:『沖縄のいきもの』P.38

 

全国湧き水マップ(沖縄県) | 旅旅」こちらの地図を参照すると、沖縄島の南部地域には、たくさんの湧き水がでていることが確認できます。沖縄島の南部地域にはおおきな川はありませんが、石灰岩で構成されている土地が、比較的おおく占めています。

 

参照:地質図navi

 

沖縄島の南部地域は、泥岩の上にサンゴ礁由来の石灰岩がのっている地質をしているようです。そのため高い山や火山などがありません。さらに大きな川もみられません。

空隙(くうげき)の多い琉球石灰岩がスポンジのように雨水をすいこみ、それより下層の緻密で水を通しにくい泥岩層には浸透せず地下水脈となり、崖などがあると、石灰岩と泥岩の境界から地下水が湧き出します。

 

沖縄の「カー」とか「ガー」とよばれる、わき水や井戸(いど)などは、このようなしくみで水が湧き出している場所だと考えられます。

Google mapで「沖縄 ガー」と検索してみると、おもしろいぐらい沖縄南部に結果が集中しています。

*1:長江の最下流部が揚子江と呼ばれている。

宮古島(みやこじま)の佐良浜(さらはま) 沖縄県宮古島市伊良部

書籍『治癒と物語』において、伊良部島(いらぶじま)の佐良浜(さらはま)地区の民間医療(書籍内では民俗医療と呼ばれている)について紹介されています。読書するにあたり、伊良部島、佐良浜の位置関係について下調べしてみます。宮古島は沖縄本島から、さらに南西へ約300キロメートル離れており、沖縄から飛行機で約50分、フェリーで約6時間かかるほどです。交通手段が機械化されていない時代には、文化的なへだたりが大きく、沖縄本島との交流もかぎられていました。そのため、この地域独特の文化が発達したと考えられます。

 

宮古島の人口は約5万5千人、伊良部島の人口は約6千人。現在は宮古島と伊良部島との間には伊良部大橋が2015年1月に開通し、車でも両島を行き来できるようになりましたが、橋ができる以前は船で両島を行き来していました。伊良部島のフェリーの発着場が「佐良浜(さらはま)」でした。

 

宮古島の北側にある池間島から漁業や耕作目的で人が佐良浜へうつってきたのが村(邑)の始まりでした。1720年のことです。1720年は享保(きょうほう)なので江戸時代のことです。

 

参照:伊良部漁業協同組合

参照:『治癒と物語』P.42

 

①伊良部、②長浜、③佐和田、④国仲、⑤仲地、⑥前里添、⑦池間添

 

7つの行政区により伊良部ができていて、⑥前里添(まえさとそえ)、⑦池間添(いけまそえ)をあわせて、通称 佐良浜(さらはま)と呼びます。

 

現在、伊良部大橋が伊良部島の南東部分に接続されているために、佐良浜は交通の要衝ではなくなったようです。

琉球列島の多様な生き物はどのようにして生まれたか

沖縄本島は、およそ北緯26度で、北緯30度ふきんにあたります。赤道の南北30度ふきんは、一年じゅう「亜熱帯性高気圧」という温かい高気圧におおわれています。赤道上で温められた空気が、上昇気流により大気上層にあがっていき、南北30度あたりでおりてきます。

 

参照:亜熱帯高圧帯 - Wikipedia

参照:『沖縄のいきもの』P.33‐35

参照:OpenStreetMap for Wikipedia - Wikipedia article: 北緯30度線

 

おりてきた空気は高温で乾燥しているために、大陸の内部では、この温かい空気がおりてきた地域は乾燥地帯となってしまいます。外国の北緯30度ふきんの国を確認してみると、アフリカ大陸北部のチュニジア、エジプトの首都カイロ、チベットのラサ(拉萨)などがあげられ、いずれも乾燥した気候で周囲に砂漠がひろがっている地域もあります。

 

しかし、おなじ北緯30度ふきんである鹿児島県の屋久島や、やや南に位置しますが琉球列島*1は、乾燥した地域ではなく、雨が比較的多く緑ゆたかな地域になっています。

 

その理由は…

 

・これらの島々が海に囲まれているため海洋性気候の影響をうけていること

 

・アジア大陸の東側に位置しているため季節風の影響をうけていること

 

・定期的に発生する台風の影響をうけていること

 

…が緑の多い要因となっています。

 

参照:『沖縄のいきもの

 

緑豊かな地域であるために、生物の住みやすい地域にもなっています。これがひとつの理由となって2021年7月26日に奄美大島(あまみおおしま)、徳之島(とくのしま)、沖縄島北部、西表島(いりおもてじま)は世界自然遺産となっています。

 

ちなみに、沖縄の森では生き物が多様になる季節は3月~6月、10月~11月だそうです。

 

これらの島々が世界自然遺産となったのは、ほかにも理由があるといいます。そのもうひとつの理由が重要だと考えられます。

 

琉球列島の島々はそれぞれできた由来がちがう

琉球列島は北琉球、中琉球、南琉球にわけられます。

 

北琉球:薩摩諸島、トカラ列島の悪石島までの島々

 

中琉球:トカラ列島の宝島、小宝島、奄美諸島、沖縄諸島

 

南琉球:宮古諸島と八重山諸島

 

参照:国立科学博物館.琉球の植物

参照:国立科学博物館.琉球列島

参照:『沖縄のいきもの

 

北琉球・中琉球・南琉球にわけられるこれらの島々はざっくりとわけると以下のような由来でできていると考えられています。

 

北琉球:日本列島

中琉球:アジア大陸東部

南琉球:台湾、アジア大陸南部

 

参照:『沖縄のいきもの

参照:『PDF世界遺産一覧表記載推薦書 奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島』P.63‐68

 

こう考えられる根拠が、それぞれの地域に生息している生物の遺伝子から示されています。北琉球と中琉球とをわける境界線が「渡瀬線(わたせせん)」、中琉球と南琉球とをわける境界線が「蜂須賀線(はちすかせん)」と呼ばれています。それぞれ命名者の名前から線の名前がつけられています。

 

 

北琉球の生き物の特徴

北琉球ではハブはみられず、マムシが生息しています。逆に、ハブは渡瀬線(わたせせん)以南…つまり小宝島、宝島以南…の島々からみられます。北琉球の生き物は、本州~九州でもみられる生き物が生息しているようです。北琉球にふくまれる種子島では、いまでは絶滅していますが、ニホンザルやタヌキ、キツネがいました。北琉球は”琉球”とつくものの本州、九州に生息している生き物と同様の生き物が生息しているようです。

 

参照:『沖縄のいきもの』P.21

参照:ニホンマムシ - Wikipedia

 

中琉球の生き物の特徴

中琉球は沖縄島や奄美大島が含まれています。アマミノクロウサギは中琉球に特異的な生き物です。現在ではアマミノクロウサギは中国では生息していませんが、アマミノクロウサギの祖先にあたる「プリオペンタラグス」の化石が中国で発見されています。中琉球に含まれる奄美諸島特有のアマミノクロウサギ、ケナガネズミなどの生き物が、アジア大陸から海を泳いで中琉球の島々へわたったとは考えにくく、大昔に、中琉球がアジア大陸の一部であった可能性があります。そして1,163万年前~約200万年前頃にアジア大陸から中琉球の島々が分離されたと考えられています。

 

フィリピン海プレートが北北西に進んで琉球海溝に沈み込むようになり、沖縄トラフが拡大して島弧が成立した。また、トカラ海峡、慶良間海裂、与那国海峡が形成され、中琉球と南琉球が大陸から分離した。

 

もともとは複数の場所で生息していた生き物が、天敵や気候変動などの理由で他の場所の種は絶滅し、天敵がいないなどの理由で特定の場所だけ生き残った場合、その生き残った生き物を「遺存固有種(いぞんこゆうしゅ)」と呼びます。アマミノクロウサギは、この遺存固有種の一例にあがります。

 

参照:国立科学博物館.アマミノクロウサギの祖先とその進化をさぐる

参照:『PDF世界遺産一覧表記載推薦書 奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島』P.63‐65

 

 

南琉球の生き物の特徴

南琉球は宮古島、与那国島、石垣島、八重山諸島が含まれています。宮古島の特有種として、ミヤコカナヘビ、ミヤコヒバア*2、ミヤコヒメヘビ、ミヤコヒキガエルがいます。これらの生き物は台湾やアジア大陸東部にみられます。つまり宮古諸島はアジア大陸由来の生き物いる地域であり、この理由から南琉球がアジア大陸とつながっていたということが考えられています。

 

そして、南琉球の島々が同じ南の島由来であることを裏付ける証拠として、宮古列島と八重山諸島、共通に生息するキシノウエトカゲ、サキシマヌマガエルがいます。キシノウエトカゲ、サキシマヌマガエルは、両 島嶼(とうしょ)群の間でほとんど遺伝的な差異がみられないそうです。

 

参照:『PDF琉球列島の古地理と陸生動物の多様化

 

中琉球、南琉球に生息しているハブとハブの近縁種に関しても、中琉球と南琉球とでは遺伝的に一線を画しています。

参照:『沖縄のいきもの

参照:ハブの進化が語る南西諸島の成立.広報誌「淡青」35号より | 東京大学

 

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以上のように、”琉球”という名前がついている地域でも、北部・中部・南部それぞれの地域における生き物の種類が異なっています。その理由が、これら3つの地域の島々がそれぞれ、日本列島、アジア大陸東部、台湾・アジア大陸南部というように異なる場所とつながっていたことから生じているからです。

 

このような理由から琉球列島は、多種多様な生き物が生息する地域となりました。その結果、世界自然遺産に登録されることとなりました。

*1:鹿児島県のトカラ列島、奄美諸島、沖縄県の沖縄諸島、先島諸島、大東諸島

*2:宮古諸島だけに生息する中型のヘビ

福岡県の珍しい地形:残丘山地 福岡県宗像市・遠賀郡

福岡県の北部、遠賀郡(おんがぐん)と宗像市(むなかたし)との間をへだてる、おおきな四つの山があります。

 

湯川山(ゆかわやま)、孔大寺山(こだいしやま)、金山(かなやま)、城山(じょうやま)の4つの連山です。遠方からながめると4つのふくらみが見えるために「四塚連山(よつつかれんざん)」と呼ばれています。

↑福岡県宗像市山田ふきんから眺める孔大寺山(こだいしやま)

↑福岡県宗像市山田ふきんから眺める金山(かなやま)、城山(じょうやま)方面

 

一見すると、なんの変哲もない山なのですが、「残丘山地(ざんきゅうさんち)」に分類されるめずらしい山々です。残丘山地はモナドノック(monadnock)とも呼ばれます。地質図naviで確認してみると、いまから1億2500万年前~1億1300万年前につくられた安山岩により四塚連山は構成されていることがわかります。

 

残丘(ざんきゅう)→「残った丘」で、風雨や水の流れによる侵食に耐えて残った丘です。水や風による侵食作用により、比較的やわらかい地質を持つ箇所は先にけずられ、比較的かたい地質を持つ箇所は残りました。その残った箇所が丘となりました。

 

参照:残丘 - Wikipedia

四塚連山は安山岩で主に構成されています。実際に湯川山(ゆかわやま)におちている岩石をみにいってみました。車道沿いに大きな岩石がところどころに確認できます。

場所:福岡県遠賀郡岡垣町原

座標値:33.872333,130.561679

 

この、やや黒っぽい岩石が安山岩なのでしょうか。

安山岩は、マグマが地表ふきんで急激に冷やされてできた火成岩で、火成岩のなかでは比較的黒っぽい色をしています。二酸化ケイ素の含有量がすくないからです。たしかに実際の岩石をみてみると黒っぽい感じがします。

道端に転がっている岩石だけでなく、道路脇の山の斜面にも、土から岩石がのぞいています。

岩は角ばっており叩くと「パリン」と割れそうな質感をもっています。

参照:倉敷市立自然史博物館.安山岩

 

国土地理院地図の3次元表示機能で四塚連山を確認してみると、たしかに「丘が残っている」ようにも見えます。この山々の周辺地域は主に砂岩や砂丘堆積物など比較的やわらかい地質で構成されています。


日本のなかで、おなじようにつくられた残丘地形があるのか調べてみると、以下のものがみつかりました。

 

岩手県の早池峰山(はやちねさん)

福島県の大滝根山(おおたきねやま)

長野県の虫倉山(むしくらやま)

東京都の大岳山(おおたけさん)

埼玉県の御岳山(みたけさん)

愛知県の茶臼山(ちゃうすやま)

愛知県の古町高山(ふるまちたかやま)

 

参照:3.地質を反映した地形 | 国土地理院

参照:残丘 - Wikipedia

参照:地形・地質情報ポータルサイト(旧,地質情報ポータルサイト)

 

↓こちらの写真は、孔大寺山(こだいしやま)と金山(かなやま)との間にある地蔵峠ふきんです。地蔵峠ふきんでは山肌に岩が露出しているような箇所はなさそうでした。そのため車では素通りしました。

場所:福岡県宗像市山田 県道291号

座標値:33.841246,130.581227