日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

小倉城内にある八坂神社の猿田彦大神

場所:福岡県北九州市小倉北区城内

座標値:33.885609,130.8731054

【北九州の史跡探訪】(北九州史跡同好会)を読み、小倉城内の八坂神社に庚申塔があるという情報を得て、探しに行ってみることにしました。

 

猿田彦大神庚申塔が二基、八坂神社本殿の右側に祀られていました。

↓大きな方の猿田彦大神庚申塔庚申塔に向かって右側面に「文化三丙寅年五月」と刻まれています。文化三年は西暦1806年。干支は丙寅(ひのえとら)。

↓塔に向かって左側面に講中の名前が、確実に確認できるのだけでも7人刻まれていました。

 

そして↓小さいほうの猿田彦大神庚申塔。少し読み取りにくいですが、「文化二」の文字が確認できます。文化二年は1805年の干支は乙丑(きのとうし)。

よく刻まれた文字を読み取ると、猿田彦大神の左側に「丑四月」と刻まれているようです。「乙(きのと)」の文字は読み取れません。

 

どちらの庚申塔も文化年間に建立されたもののようです。

 

これらの庚申塔の裏側からは小倉城の堀と、県道63号線から分岐しリバーウォークの駐車場へと向かう車道が見えました。こんな街中にも庚申塔が祀られていました。

畑観音釈王寺の馬頭観音 北九州市八幡西区畑

場所:福岡県北九州市八幡西区畑

座標値:33.795723,130.78795f:id:regenerationderhydra:20180828201418j:image

福岡県で寺院を巡っていると、ときどき目にする馬頭観世音菩薩馬頭観音さまは馬の神さま。ほんとに、ときどきお目にかかるために、拝観できたときはうれしさを感じます。

馬のように濁水をのみ、馬の食う雑草を食べるので馬頭と呼ばれ、像の頭に馬頭の天冠を付けている。(宿なし百神 (1975年) (東京美術選書〈12〉) P208)

 

 農作業などで馬が重要な役割を担っていた時代は、馬は家族の一員としてあつかわれていました。そのため馬が死ぬと、その馬に対して供養塔を建て、馬頭観音を祀ったそうです。

猫峠 どうして猫という名前がついたのか? 福岡県糟屋郡・宮若市

福岡県の糟屋郡と宮若市との境にある猫峠(標高447.5m)。猫峠の西側2.6㎞ほど離れた場所には犬鳴峠があります。

場所:福岡県宮若市縁山畑、糟屋郡篠栗町大字萩尾

座標値:33.663106,130.570624

 

糟屋郡篠栗町にある呑山観音寺へ参拝に行く際に猫峠を通り、そこに以下の写真のような石塔が祀られていました。

おそらく昔の石塔が↑上の写真だったのが、近年↓下の写真の石塔が造られたのでしょう。

犬鳴峠の名前の由来は、以下の伝承によるものと聞いています。

 

犬鳴山で猟師が犬を連れて猟をしていた。犬が激しく鳴き続けるので獲物がとれぬと、この犬を鉄砲で撃ったそうな。ふと見上げると1丈5、6尺(約5m)程の大蛇が姿をあらわした。犬が鳴いて危険を知らせたものを、誤って撃ったことに猟師は後悔した。猟師は鉄砲を捨ててお坊さんになり、この山に犬の塔を立てたそうな。それから犬鳴という(参照)。

 

しかし猫峠にはそのような伝承は聞いたことがありません。どうして”猫”とついたのか?調べてみたところ、とても詳しくその由来を紹介してくれているサイトがありました。(萩尾名所案内 その1 分校から呑山方面へ 猫峠

 

このサイトによると由来は以下の通り。

「ねこ」の語源は「嶺…ミネ」、「処…ココ」 これが、「ネコ」の2音へ変化。原義は「嶺…高い、処…ところ」、合わせて「高いところ」。「猫」という漢字は、「嶺処…ネコ」の当て字だということが分かりました。

図書館で地名の由来が書かれた本を見かけたので、追って調べてみたいと思います。

呑山観音寺のアマガエル 糟屋郡篠栗町

場所:福岡県糟屋郡篠栗町萩尾

呑山観音寺
f:id:regenerationderhydra:20180826222352j:image

呑山観音寺は、山間にある寺院で境内の日陰は涼しい。だからアマガエルも、ちょいと出てくるのでしょう。

 

でも炎天下のアスファルト。干からびてしまわないかと心配していましたが、しばらく後には、無事にどこかへ去っていました。

畑貯水池のほとり 庚申祭神 北九州市八幡西区畑

場所:福岡県北九州市八幡西区畑

座標値:33.8106383,130.7653371

庚申祭神と刻まれた庚申塔です。庚申祭神の文字に向かって右側に明和三年と刻まれるのはわかりました。明和三年は西暦1766年、干支は丙戌(ひのえいぬ)です。

しかし庚申祭神の文字に向って左側になにか文字が刻まれていますが、判別はできません。かろうじて「中?」という文字が見えます。

この庚申塔も「八幡西区畑・小嶺地区の史跡等」こちらのサイトで知ることができました。

鯉料理を食べることができる杣(そま)という料理屋さんの近く、消防用貯水槽の奥に庚申祭神の石塔は祀られていました。

建立年不明の興玉神 北九州市八幡西区 小嶺(こみね)

興玉神(おきたまのかみ)と刻まれた庚申塔。小嶺公民館の敷地内に祀られていました。

 

場所:福岡県北九州市八幡西区小嶺

座標値:33.8169721,130.7558129


f:id:regenerationderhydra:20180826063925j:image

庚申塔に向かって右側面↓ 何か刻まれているのがわかりますが、その文字は判別ができませんでした。

 

同じく、庚申塔に向かって左側面にも何かが刻まれていますが、判別は不可でした↓

 こちらのサイトを拝見して小嶺の興玉神のことを知りました。八幡西区の「畑」や「小嶺」地区には比較的古い史跡や建物、風景が残されている印象を受けました。