福岡県遠賀郡(おんがぐん)遠賀町の蓮角(れんがく)という地区に、「城の越貝塚」と刻まれた石碑がたてられています。城の越貝塚は「じょうのこしかいづか」と読みます。
場所:福岡県遠賀郡遠賀町蓮角
座標値:33.837449,130.663464
石碑のある周辺をみてみても、住宅街が広がるのみで、貝塚らしきものはみあたりません。帰ってから地図を調べてみると、この石碑がたっている場所から、道路をはさんで反対側…つまり南側に貝塚らしき丘陵があることがわかりました。
丘陵地ふきんのGoogleストリートビューです↓
案内板の内容を読んでみると、海水産の貝類や動物骨が貝塚からみつかっているそうで、遠賀町の蓮角(れんがく)という地区にまで海水がはいりこんでいたことがわかります。
「城の越貝塚」の石碑がある場所を国土地理院の航空写真で確認してみると、ずいぶんと内陸部にあります。こんな場所にまで海水がはいりこんでいました。
大むかしの遠賀川がどんな形をしていたかを示す地図を確認してみます。「古遠賀湾」というキーワードで検索してみると、みつけることができます。「古代史マガジンKODAiZiNE.古遠賀湾」に掲載されている地図を参照してみると、古遠賀湾はおおきく入り組んだ湾であったことがわかります。古遠賀湾の東側にひろがる洞海湾もみえます。遠賀湾と古遠賀湾とで囲まれた地区が若松です。大むかし、若松は島のようになっていたということが、たしかに確認できます。
「城の越貝塚」があったおおよその場所を、上の地図に示してみます。上の地図には他の貝塚の場所も示されています。おそらく黄色い点も貝塚だと考えられます。貝塚を巡ると、遠賀湾の岸辺であった場所を確認できそうです。
以下は、案内板の内容です。
城の越貝塚(じょうのこしかいづか)
Jonokoshi Shell Mound
この遺跡は弥生時代の貝塚を中心とする。 遺物の分布範囲は低い丘裾に約400mにわたってひろがり、 丘の上には集落の存在も推定される。物は、 数層にわたってヤマトシジミを中心にして、多量の海水産貝類 動物骨が出土する。 また多量の土器、石鏃、 石斧、石剣、 石包丁が出土した。最下層の土器は弥生時代前期末に位置づけられ、これに接する弥生中期初頭の土器群は、 「城の越式土器」 と命名され、 九州北部の土器編年上、 重要な標識となっている。
城の越貝塚の土層断面図 杉原荘介編 「日本農耕文化の生成」より