福岡市立博物館のホームページに『動く海の中道-消えゆく遺跡-』と題された記事が紹介されています。この記事を拝読して、福岡市東区にある奈多砂層を訪問しました。
場所:福岡県福岡市東区雁の巣
座標値:33.686284,130.398627
福岡県の北西部に志賀島(しかのしま)という島があります。島ですが、九州本土と島との間に砂や小石が堆積しており、地続きになっています。このような地形は陸繋砂州(りくけいさす)と呼ばれています参照。
志賀島と九州とをむすぶ、この地続き部分が「海の中道(うみのなかみち)」です。志賀島(しかのしま)‐大岳(おおたけ)・小岳‐新宮(しんぐう)などの岩盤をつなぐ、規模の大きな砂丘です。
海の中道は二層の砂の層でできている
海の中道は、ほぼ全体が砂丘ですが、おおよそ二層に分かれているといいます。更新世…つまり氷河時代以前に形成された古い「奈多砂層(なたさそう)」と、その上に堆積した「海の中道砂層」です。
奈多砂層は現在、テラス状の崖となっています。この奈多砂層は氷河期時代以前…つまり更新世(こうしんせい)に堆積した古い砂層です。奈多砂層は、淡黄色をしていて細かい砂の粒が押し固められてできています。 押し固められているとはいえ、もともとは砂なので、とてももろく、簡単に崩れてしまいます。
よくよく観察してみると、淡黄色のなかに、黒っぽいものも含まれています。これは砂ではなく土壌の部分なのだと考えられます。
奈多砂層よりも古い時代につくられた小山
海の中道の西部には、更新世が含まれる「第四紀」よりも古い時代…「古第三紀」につくられた大岳(おおたけ)・小岳もあります。地質図naviでそれぞれつくられた年代を参照してみると、もともと溶岩の噴出でできた志賀島がつくられ、その後に大岳・小岳がつくられ、その後「海の中道」…つまり奈多砂層がつくられたということが予想されます。
今も南に移動し続ける砂丘
約1万5千年前の縄文時代から始まった温暖化がきっかけで、海面の上昇がはじまりました。海面が上昇すると、波の力により奈多砂層の浸食が始まりました。
海の中道の北側の海岸では、志賀島にぶつかった海流が分かれて志賀島の東側を回り込み、強い波が押し寄せています。この波によって削られた奈多砂層の砂が、浜に打ち上げられます。浜に打ち上げられた奈多砂層の砂は強い北風に運ばれ、新しい砂丘が作られます。こうして、奈多砂層の上に「海の中道砂層」がつみあがっていったと考えられています。
一方、海の中道の南側の海岸では、博多湾を反時計回りに流れる海流により砂が運ばれ、西戸崎(さいとざき)の東側を中心に海岸に堆積し続けています。
もともと「海の中道」は現在よりも約500m北側にあったと推定されています。このような侵食・堆積運動が繰り返され、「海の中道」は南側へと移動していきました。
温暖化による海面上昇で始まった侵食・堆積運動は、海面の高さが安定した現在も続いています。
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このしくみを、福岡市博物館のホームページでわかりやすく図式化してくれています。
https://museum.city.fukuoka.jp/archives/leaflet/582/index.html
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堆積して圧縮された砂は砂岩となって固くなったと考えられます。砂層の侵食により一部の岩がゴロゴロと砂浜に落ちてきているようです。これらの砂岩は削りやすいため、多くの人が絵や文字を刻んでいます。