北九州市若松区に下の写真のような、コンクリート製の小屋がのこっています。北九州市若松区と戸畑区をむすぶ若戸大橋の直下です。
場所:福岡県北九州市若松区浜町
座標値:33.903811,130.815101
この小屋はなんであったのか、気になってしらべてみました。若松港がつくられてきた歴史とつながりのある建物だということがわかりました。むかしは若松港に出入りする船は、県や市ではなく民間企業に港銭を支払わなければならなかったそうです。出入りする船に不正がないか見張るための小屋が、このコンクリート製の小屋です。
若松港がつくられてきた流れをざっくりとみてみると以下のようになります。
石炭にかかわる組織がつくられ、さらに筑豊炭田へ多くの出資が行われると、石炭産出量が増大しました。それにともない筑豊興業鉄道、若松港の設立もおこなわれました。
鉄道が敷設されるまでは、川艜(かわひらた)と呼ばれる船で石炭が運ばれていました。しかし鉄道による大量輸送が可能になると、さらに多くの石炭が若松港へと運ばれるようになりました。そして、1900年代はじめには、若松港は門司港以上の巨大な石炭積出港となりました。
参照:『北九州の近代化遺産』P.91、92
築港にともない、1893年(明治26年)からは、若松港に出入りする船舶からお金を徴収することになりました。お金を払わないで港に出入りする船がないよう見張るための小屋が下の写真の「出入り船舶見張り所跡」です。
1931年(昭和6年)から1938年(昭和13年)まで使用されていたようです。
現在は、この写真のようにきれいに整備されています。室内床はタイル張りされており、壁は塗りなおされているようにみえます。
しかし少し前の2018年は、窓ガラスがついておらず、木板がはりつけられたみすぼらしい小屋でした。小屋がたっている土台部分のコンクリートも綺麗に作り直されているようです。
今昔マップで、見張り所が実際にあった当時の地図を確認してみます。さすがに小さな建物なので地形図には記載されていないようです。おおよその場所を下図に示してみます。見張り所のすぐ前には中島がまだ存在していました。夜間には中島の灯りも眺めることができたのでしょう。
以下は、案内板の説明を抜粋しています。
若松築港会社(現:若築建設)は明治23(1890)年若松港を石炭積出港として開発する目的で設立されました。
福岡県知事をの許可を受け、明治26(1893)年より昭和13(1938)年までの間、洞海湾を航行する船舶より港銭(入港料)を徴収しておりました。
この出入船舶見張り所は、昭和6(1931)年に設置され不正入港を監視するための施設として使用されました。
令和元(2019)年、「若松港築港関連施設群」は洞海湾開発事業の歴史的土木構造物として土木遺産に認定されました。