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福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

長崎街道『飯塚宿』の史跡を巡る 福岡県飯塚市本町

飯塚宿が設けられた具体的な年代はあきらかにされていませんが、内野宿と冷水峠が開かれた1612年(慶長十七年)頃に、飯塚宿も設けられたのではないかと考えられています(参照:『長崎街道/大里・小倉と筑前六宿』P.66,67)。2022年から数えると400年以上も前のことになります。

上の地形図に、飯塚宿のある場所を赤丸で示しています。福岡における陸上交通のほぼ中心にあたります。そのため大名や長崎奉行の参勤交代時の宿駅として栄えました(参照:『長崎街道/大里・小倉と筑前六宿』P.68)。このような交通の要衝として栄えた宿場町では、交通管理をするための事務所と、大名らが宿泊する宿屋がとても忙しかったそうです参照

 

交通管理をするための事務所は問屋場(といやば)、宿泊施設は本陣といいました。

 

飯塚宿が設立される前から、飯塚には黒田如水と長政が遠征のときに宿泊したという記録がのこっています。そのとき宿泊したのが曹洞宗 太養院です。当時は、現在建っている位置より南側の飯塚山の上にあったといわれます。飯塚宿の本陣は、この太養院にあたるのでしょうか。

 

飯塚宿があった辺りの拡大地図を下に示します。飯塚市本町と呼ばれる地区です。

そしてこの地図に、長崎街道の場所と、今回確認できた各史跡の位置を示してみます。この図でいうと、下(南側)から順に上(北側)方向へと歩を進めていくことになります。

まずは西搆口跡です。もう構口の面影は残っていません。石碑があるのみです。

場所:福岡県飯塚市東徳前

座標値:33.635512,130.683239

構口(かまえぐち)案内板

宿場の両方入口にあり、道の両端に道路に対して直角に石垣を築き、その上に瓦葺きの土塀(築地塀:ついじべい)を設けていました。長崎奉行・大名の宿泊時や非常時には特に厳重に警備しました。

 

↑長崎街道の奥のほうに明正寺(みょうしょうじ)のりっぱな建物がみえます。

 

大神宮跡の場所には、昔、酒屋さんがありました。この酒屋さん、神聖な水を使用してお酒をつかっていたということです。

 

大神宮跡

宝永三年(1706)ここで元大神(もとおおかみ)と刻まれた光る石が発見され、大神石と呼び祠を建てて祭りましたが、明治42年、納祖八幡宮に移され、祠の跡に井戸を掘り、その水で神にささげる酒をつくりました。

 

”大神宮(だいじんぐう)”と読むというよりも、”「元大神(もとおおかみ)」の祀られていたお宮があった跡”と読み取ったほうがよさそうです。

 

大神宮跡の石柱がたてられている場所には、おおきな駐車場ができています。その駐車場の真ん中に、不自然に、井戸がありました。井戸の蓋の上には石祠がまつられています。

 

場所:福岡県飯塚市飯塚

座標値:33.636691,130.683675

まだ、古いデータが残っているGoogle mapで、この場所が以前どんな場所だったのか確認してみます。

この地図に、長崎街道と、元大神さまの井戸があったと思われるお酒屋さん(麻生酒造)の場所を示してみます。地図から推察すると、麻生酒造が廃業となり、その建物はとりこわされ、北側の駐車場が拡張してきたと思われます。ただお酒屋さんのなかにあったと思われる井戸だけは、そのまま、その場所に残されたと考えられます。

飯塚宿が栄えていたころ、宿場町のなかを飯塚川という大きな川が流れていたといいます。その証拠となる史跡が「白水橋跡」です。福岡市立博物館所蔵の『筑前名所図会/飯塚驛』に白水橋が描かれています。お寺めぐりの友というサイトに飯塚宿の図が掲載されていますのでご参照ください。

場所:福岡県飯塚市飯塚

座標値:33.637236,130.684922

HP「飯塚市観光ポータル」の飯塚宿について紹介されたPDFには、白水橋跡について以下のようにかかれています。

往時の飯塚川は白水橋で飯塚の宿場を横切り片島にその下流を配していました。飯塚川は40m以上の清流で郵便局裏では約56mありました。

 

以下は「飯塚宿詳細 - 飯塚市観光ポータル」の白水橋の説明です。

 

往時の飯塚川はその水源を内野の山中に発し、山口、大分の谷々より流れ出る渓流を集めて、この白水橋で飯塚の宿場を横切り、片島にその下流を配していました。水運の便もよく現在の3倍の川幅を有し、陸路と水路の立体交差点として繁栄しました。飯塚川は遠賀川の改修工事に伴ない、大正8年頃から埋立が進められ川幅が狭くなっていき、昭和50年頃完全に埋立てられました。現在はよかもん通りから緑道公園と続いています。橋が架かっていた場所には欄干の一部が残されています。

 

飯塚川は1975年(昭和50年)に完全に埋め立てられたようです。”現在はよかもん通りから緑道公園と続いています”ということから、暗渠となっているのでしょうか?

 

飯塚川は昔、飯塚宿のなかを通っていたようです。現在の穂波川のように、おおきく東側へ折れ曲がらず、北東にむかって斜めに北上していたのだと考えられます。↓下は現在(2022年)の地形図です。穂波川と遠賀川の合流地点です。

下は長崎街道と白水橋跡を、赤く示しています。穂波川からは、だいぶ離れた場所に白水橋跡があることがわかります。

この地図をもとに、昔の穂波川(飯塚川)の流れをおおまかに想像してみると、下図の青で示したようになります。

飯塚川の北側…納祖八幡宮のある側は本町、そして南側…文化会館がある側は東町と、いわれていたようです。

下の写真は恵比須石跡です。宿場の繁栄を願って通りの中央に恵比須の石像を祀ったそうです。

場所:福岡県飯塚市本町

座標値:33.6378555,130.6849365

 

 

 

 

下の写真は問屋場跡です。

場所:福岡県飯塚市本町

座標値:33.6396713,130.6847076

 

問屋場跡は、宿場町のやや北寄りにあったことがわかります。問屋場跡のすぐ北側に東構口跡があります。問屋場跡から北方向を眺めた写真です↓ アーケードの出入り口が向こう側にみえてきます。

↓東構口跡です。写真だと交差点の向こう側に石碑がたっているのがわかります。

場所:福岡県飯塚市宮町

座標値:33.640551,130.684557

 

交差点の反対側からアーケード出入り口を眺めたところです↓

 

↓宝月楼(ほうげつろう)跡。飯塚の商人、古川直道氏の別荘があったという場所です。

場所:〒820-0069 福岡県飯塚市宮町
座標値:33.640728,130.684600





オランダ屋敷跡↓ オランダ医師であるケンペルやシーボルトが宿泊したといわれる場所です。外国人は、宿場町からすこし北側にはずれた場所に泊まっていたということがわかります。

場所:福岡県飯塚市宮町

座標値:33.6418724,130.6843872

 

長崎街道に沿って飯塚宿跡を歩いてみると、現在ではその大部分が商店街となっています。宿場町が栄えていたころも、現在とおなじように街道の両側にいろんな店や住居がたちならんでいたのだと考えられます。飯塚宿は、当時の町の様子が比較的想像しやすいように感じました。