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福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

明治期の役所のレンガ塀 福岡県京都郡みやこ町豊津

福岡県京都郡みやこ町にある歴史民俗博物館へいく途中、道脇にレンガ塀があり、レンガ塀のそばに案内板がたっているのを目にしました。このレンガ塀にどんないわれがあるのか、気になったので、見学にいってみました。

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場所:福岡県京都郡みやこ町豊津

座標値:33.674011,130.971466

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案内板によると、このレンガ塀は豐津藩民政局の敷地を囲っていた塀であったと記されています。

 

民政局とはいっても、どうも第二次世界大戦後に設置された、日本の軍国主義思想を解体するための「民政局」とは別のもののようです。

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豊津(とよつ)藩民政局とは

明治初期、この場所には、豊津(とよつ)藩の「民政局」が置かれました。豊津藩は、江戸時代では小倉(こくら)藩で、のちに香春(かわら)藩となり、豊津藩となりました参照

 

豊津藩の民政局は、もともとは江戸時代「郡方役所(こおりがたやくしょ)」と呼ばれていました。民政局は、経済の活性化、税の管理、交通インフラなど生活環境の整備などをおこなっていたそうです。生活環境や利便性の向上を目的に活動していたと考えられます。


1871年(明治4年)7月、豊津藩は廃藩置県によって豊津県となりました。


1871年(明治4年)11月、豊津県は改置府県によって小倉県に吸収されました。これにより、旧豊津・豊津県の土地・建物は全て小倉県のものとなりました。


しかし、民政局だけは小笠原家の所有となり、小笠原家の財産管理や当主が豊津に来訪した際の宿泊所とされ、この利用のされかたから民政局の建物は「御内家」あるいは「御別邸」と呼ばれたそうです。

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この塀がいつごろつくられたものなのかは、案内板には明記されていませんが、豊津藩の民政局がおかれた明治初期(1870年前後)につくられたものだと予想されます。もしそうだとすれば、レンガ塀はおよそ150年前のものだということになります。