日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

北九州市にあった化学工場の場所と歴史をしらべてみる

北九州市に3つ、日本化薬関連の工場があったそうです。到津(いとうづ)にあった工場は導火線を製造、折尾にあった工場は雷管(らいかん)を製造していたとのことです。3つの工場のおおまかな場所は以下のとおりです。

 

①導火線 小倉工場(仮の名称)

推定場所:福岡県北九州市小倉北区下到津1丁目10

 

②雷管 折尾工場(仮の名称)

場所:福岡県北九州市八幡西区浅川町2−1

 

③帝国染料製造小倉分工場

場所:福岡県北九州市小倉北区高見台8

 

どういう経過をたどって、これら3つの工場がつくられ、そしてその後、いつごろ北九州から撤退したのでしょう。まず日本化薬の沿革をざっと、以下、記してみます。

 

参照:年表 | 日本化薬の100年の歩み | 日本化薬 創立100周年記念サイト

※以下、緑の文字はメモで、わたしの推測もふくまれます

 

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1916年(大正5年)

「日本火薬製造株式会社」という名前で

日本初の産業用火薬メーカーとして誕生

 

帝国染料製造株式会社が同時に設立

→この時点では日本化薬製造(株)とは別会社

 

1917年(大正6年)

山口県 厚狭(あさ)工場が製造開始

場所:山口県山陽小野田市大字郡

 

1928年(昭和3年)

8月に帝国染料製造(株)を買収

 

9月に建設中であった

帝国染料製造小倉分工場が完成

→この時点で

③の帝国染料製造小倉分工場が

つくられたことになる

 

1934年(昭和9年)

11月に

日本導火線(株)

日本雷管(株)

中外雷管(株)

を吸収合併

→もしかしたら、この時点で

①導火線小倉工場、②雷管折尾工場が

つくられたのかも

 

1945年(昭和20年)

北洋火薬株式会社を設立
商号を日本化薬株式会社と改称

 

1965年(昭和40年)

飯塚・小倉両作業所を閉鎖

→小倉作業所とは

①導火線 小倉工場のこと?

 

1977年(昭和52年)

厚和産業株式会社

(山口県山陽小野田市郡)を設立

 

折尾工場

(福岡県北九州市八幡西区浅川町)閉鎖

→この時点で

②雷管 折尾工場が閉鎖された

 

1985年(昭和60年)

小倉染料工場閉鎖

→この時点で

③帝国染料製造小倉分工場が閉鎖された

 

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以上の内容をまとめてみると以下のようになります。

 

①導火線 小倉工場

場所:福岡県北九州市小倉北区下到津1丁目10

Google マップ

設立:1934年(昭和9年)

閉鎖:1965年(昭和40年)

稼働期間:31年間

 

②雷管 折尾工場

場所:福岡県北九州市八幡西区浅川町2−1

Google マップ

設立:1934年(昭和9年)

閉鎖:1977年(昭和52年)

稼働期間:43年間

 

③帝国染料製造小倉分工場

場所:福岡県北九州市小倉北区高見台8

Google マップ

設立:1928年(昭和3年)

閉鎖:1985年(昭和60年)

稼働期間:57年間

 

かなり推測がふくまれていますが、この推測をもとに、これら3つの工場跡についてまた調べていきたいと思います。