北九州市に3つ、日本化薬関連の工場があったそうです。到津(いとうづ)にあった工場は導火線を製造、折尾にあった工場は雷管(らいかん)を製造していたとのことです。3つの工場のおおまかな場所は以下のとおりです。
①導火線 小倉工場(仮の名称)
推定場所:福岡県北九州市小倉北区下到津1丁目10
②雷管 折尾工場(仮の名称)
場所:福岡県北九州市八幡西区浅川町2−1
③帝国染料製造小倉分工場
場所:福岡県北九州市小倉北区高見台8
どういう経過をたどって、これら3つの工場がつくられ、そしてその後、いつごろ北九州から撤退したのでしょう。まず日本化薬の沿革をざっと、以下、記してみます。
参照:年表 | 日本化薬の100年の歩み | 日本化薬 創立100周年記念サイト
※以下、緑の文字はメモで、わたしの推測もふくまれます
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1916年(大正5年)
「日本火薬製造株式会社」という名前で
日本初の産業用火薬メーカーとして誕生
帝国染料製造株式会社が同時に設立
→この時点では日本化薬製造(株)とは別会社
1917年(大正6年)
山口県 厚狭(あさ)工場が製造開始
場所:山口県山陽小野田市大字郡
1928年(昭和3年)
8月に帝国染料製造(株)を買収
9月に建設中であった
帝国染料製造小倉分工場が完成
→この時点で
③の帝国染料製造小倉分工場が
つくられたことになる
1934年(昭和9年)
11月に
日本導火線(株)
日本雷管(株)
中外雷管(株)
を吸収合併
→もしかしたら、この時点で
①導火線小倉工場、②雷管折尾工場が
つくられたのかも
1945年(昭和20年)
北洋火薬株式会社を設立
商号を日本化薬株式会社と改称
1965年(昭和40年)
飯塚・小倉両作業所を閉鎖
→小倉作業所とは
①導火線 小倉工場のこと?
1977年(昭和52年)
厚和産業株式会社
(山口県山陽小野田市郡)を設立
折尾工場
(福岡県北九州市八幡西区浅川町)閉鎖
→この時点で
②雷管 折尾工場が閉鎖された
1985年(昭和60年)
小倉染料工場閉鎖
→この時点で
③帝国染料製造小倉分工場が閉鎖された
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以上の内容をまとめてみると以下のようになります。
①導火線 小倉工場
場所:福岡県北九州市小倉北区下到津1丁目10
設立:1934年(昭和9年)
閉鎖:1965年(昭和40年)
稼働期間:31年間
②雷管 折尾工場
場所:福岡県北九州市八幡西区浅川町2−1
設立:1934年(昭和9年)
閉鎖:1977年(昭和52年)
稼働期間:43年間
③帝国染料製造小倉分工場
場所:福岡県北九州市小倉北区高見台8
設立:1928年(昭和3年)
閉鎖:1985年(昭和60年)
稼働期間:57年間
かなり推測がふくまれていますが、この推測をもとに、これら3つの工場跡についてまた調べていきたいと思います。