今回の記事は、『北九州の近代化遺産(北九州地域史研究会編)』P.160-161を、主に参照させていただきました。北九州市の戸畑区にある日本水産の事務所棟を訪ねました。2021年時点では、85年の歴史をもつ建物です。この建物にどのような歴史があるのか調べてみました。
場所:福岡県北九州市戸畑区銀座2-6-27
座標値:33.900176,130.817209
人工島「一文字島」
洞海湾口には昔、中之島をはじめ、いくつかの島々がありましたが、現在は船の運行に支障をきたすために浚渫(しゅんせつ)されてしまいました。
その結果、洞海湾の底からでた浚渫土(しゅんせつど)によって人工島がつくられました。人工島の名前は一文字島(いちもんじとう)といいます。
この島は1926年(昭和元年)に戸畑側と陸続きになりました。そして事業用地として売り出されることとなりました。
参照:今昔マップ
共同漁業株式会社(日本水産)の進出
陸続きになった一文字島に、起業家 鮎川義介(あいかわよしすけ参照)が共同漁業株式会社を展開してきました。共同漁業株式会社は、のちに日本水産株式会社となります。
1929年(昭和4年)には、共同漁業株式会社は、ここ一文字島近辺で、市場(いちば)・加工場・従業員宿舎などをあわせたトロール事業の基地をつくりあげたそうです。
そして、基地をつくりあげたあとも、共同漁業は大型船尾式トロール船*1による遠洋新漁場の開拓に熱心にとりくみました参照。
西日本ではじめて本格的に魚肉ソーセージがつくられた工場
戦後の食糧難と栄養不足から、戸畑では1953年(昭和27年)から魚肉ソーセージが作られはじめました。さらに、共同漁業の工場では、ちくわの生産が行われはじめました。しかし、ちくわの製造をはじめた頃、製造技術を教えられる社員がひとりもおらず、ゼロからの出発となったそうです。
現在も残る日本水産株式会社の事務所棟
現在、共同漁業株式会社の巨大な基地の雰囲気はほとんど残っていません。しかし、下の写真のような、日本水産の事務所棟がのこされています。
この事務所棟は、1936年(昭和11年)につくられた鉄筋コンクリート製の建物です。戸畑漁港のなかでは、とても存在感のある建物です。この事務所棟がある場所は、一文字島が戸畑とまだ陸続きではなかった頃、岬の突端部分にあたる場所でした。